古埋忠這龍目貫と埋忠就受
埋忠の鐔は沢山あれどなぜか埋忠の目貫となると途端に少なくなる。
それでも江戸埋忠など、江戸前中期の作になると埋忠就受(1641~1729年)のように在銘目貫もあるが、明寿と同時期、もしくはそれ以上に時代の上がる埋忠の目貫はまず在銘品を見る事が無く、全て極めに頼る事になっているのが現状(確たる物が無い状況)ではないだろうか。
そして鐔においても明寿の作と、古埋忠の作では見た感じの印象もだいぶ異なる気がするが、そもそも在銘作がない以上は古埋忠の極めの定義の違いな気もするのでそこを単純比較していても仕方がない気もしている。
さて、後藤家が目貫や三所物などを中心に製作し鐔は殆ど作っていなかったのに対して(5代徳乗から鐔が存在)、同時期に存在していた明寿に鐔の作例は多くあっても目貫などは無い事から、家ごとで役割を明確に分けていた事も想像できる。
そんな折、素晴らしい古埋忠の這龍目貫をネットで見つけた。
それが以下であり、サンゴの宝珠を持っているという珍しい物。
非常に薄造りで、抜け穴が多く、型に捉われない自由な構図をしており、室町頃の古美濃あたりに特徴が良く似ているように見える。
側面写真が無く分からないが、目貫の高さも高そうに見える。
古美濃であれば角にねじれが表現されているだろうが、上記写真では分からない。どうであろうか。
這龍目貫は古美濃や後藤家の他、京金工や古金工、加賀後藤、脇後藤など様々な極めの物があることから室町期頃から大変人気な構図であった事が想像できるが、自由奔放なポージングをしている龍は古美濃や古金工、後藤家初代の祐乗あたりまでであるように感じ、後は形式ばった以下のようなポージングの這龍目貫が多い気がする。
ところで今日過去の大刀剣市の図録を見返していたところ、以下の出来の良さそうな這龍目貫を見つけた。
残念ながら裏行は載っていなかったのであるが、表の繊細な鏨入れは古美濃や後藤家の上三代にも匹敵しそうにも見える。
しかし後藤龍とは明らかに異なるので古美濃かなと思ったのであるが、結果から言えばこの目貫の作者はなんと「埋忠就受」であり、割短冊銘が入った物であるとのこと。
ついでなので先の古埋忠目貫と並べてみる。
爪が長い点や顔が全体的に丸みを帯びている点などは似ているようにも思うが同作者には見えない。
しかしこの両者の目貫にはどこか繋がりも見えて来るようにも感じてならない。
埋忠就受は蝦夷目貫を表現したものもあるので、単に古美濃などの目貫を参考にしながら自分流にアレンジした可能性も多分にあるが、もし古埋忠と繋がりが見えてくるような事があればこれは非常に面白い。
そんな事もあり埋忠就受の実物を一度見てみたいと探しているのだが、これまたなかなか見つからない。
今回も読んで下さりありがとうございました!
面白かった方はいいねを押して頂けると嬉しいです^^
記事更新の励みになります。
それでは皆様良き御刀ライフを~!
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
「刀とくらす。」をコンセプトに刀を飾る展示ケースを製作販売してます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?