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研ぎ減った刀の考え方

普通に考えれば「よく使われた」刀です。

よく使われるほど大切にされたと捉える事も出来ますし、それだけ人の命を奪った可能性があると捉える事も出来ます。
主君を何度も守ってきたと考える事も出来ます。
言い方は色々あれど一言で言えば「よく使われた」刀です。

感覚値ですが、平安、鎌倉時代の刀はほぼ99.9%研ぎ減っています。
特重指定品でも重文でも少なからず研ぎ減っています。
0.1%信じられない位健全な物がありますが、これはもしかしたら一度も斬っていないかもしれません。がそれでも1回くらいは斬っているかもしれません。(0.1%に賭けて買うと失敗するのでやめましょう)

南北朝時代や室町時代の刀も95%位は研ぎ減っているのでないでしょうか。
これも感覚値ですけど。
ただ特重指定品などを見ればかなり健全に残っているものがあります。
しかし500万以下(大銘物だと1000万円以下)で買える刀は99.9%研ぎ減っていると思います。

江戸時代以降になると一気に健全な物が増えますが、同時に試し斬りをした記録が茎に刻まれている物が増えます。
戦が無くなったものの切れる刀が欲しいという武士の要望故でしょう。
これもまた人を斬ったと捉える事が出来ます。
しかし平和な世だったからこそ帯刀はしつつも一度も斬っていない刀もまた相当数存在しているのではないでしょうか。

幕末頃になると時代も浅いので健全な刀が多いのは勿論ですが、動乱の時代なので健全に見えてももしかしたら人を斬っているかもしれません。
少し前に裁断銘入りの新々刀の刀を見ましたが健全そのものでした。
上手い人が試し斬りすれば刀は健全な状態を維持できるのです。

つまり何が言いたいかというと、「人を斬っていない刀」という前提で刀を探すのは無理があります。
時々これを前提で探している方がいますが、強いてあるとすれば奉納刀か、剣(つるぎ)でしょうか。
100%を求めるなら注文打ち以外にありません。

刀に一体どんな理想を求めているのでしょうか。
確かに刀は神仏の対象として神聖なものとして扱われてきた歴史もありますし、贈答や下賜などでも用いられるなど様々な用途を持ち合わせています。
が、もともと武器として生まれたものである以上は使われていて当然と考えるべきで、それを理由に畏怖したり憎悪するというのは甚だ可笑しな事だと思います。

現在は美術品として地位を確立した日本刀ですが、その武器としての本質から目を背けてもいけない気がします。
という事で研ぎ減った刀を見ても、沢山使われてそうだからやめようではなく、沢山使われながらもよくぞこの状態で現在まで残った、と温かい気持ちで見ていきたいものです。

尚、使っていなくても保管状態が悪く大きく研ぎ減ってしまった刀もまたあると思います。結果研ぎ減っているからといって使われたと断定も出来ないのです。



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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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