成木鐔⑱ 成木鐔のどこが良いのか
先日「成木鐔のどこが良いのか?」と問われた。
確かに古作と比較すると古作の方が出来としては良いのはその通りなのだ。
例えば成木氏の信家写と信家本歌を比較すると、こう言っては失礼かもしれないが、鉄味についても、彫の書体の表現力などについても、それらからくる詫び寂び感においても、全て本歌の信家の方が上手い。
これは尾張写や金山写と比較しても同じ事が言えるだろう。
しかし私が好きなのはもっと別の所にあってそういう出来だけの話では無いのである。
分かりやすく言えば成木氏の作家としての生き様、つまり古陶磁の研究をしていたが病で下半身の自由を奪われた為にその道を断念し、その絶望の淵で父に見せられた1枚の鉄鐔をきっかけに鉄鐔制作を開始した成木氏。
誰に師事するわけでもなく独自で鉄鐔作りを研究し、全国の砂鉄50種以上を採取して成分を調べる所からする徹底ぶりで、個展にてそれらの成果を発表しつつ、日刀保のコンクールに出し始めた途端、11年連続で特賞受賞という快挙を成し遂げてそのまま無鑑査認定を受けつつも最後は誰に知られる事もなくひっそりと施設で他界するという、恐らく後にも先にも現れないであろう人生観、まさに鉄鐔を作る為だけに生きたとも言える成木氏の作家としての人生部分に興味を惹かれるのである。
(成木氏の経歴については以前こちらにまとめている)
これは例えば清麿好きな人が清磨の作風以外に波乱万丈な人生の中での生き様に惹かれるような事に近いのではないかと感じている。
その為、成木氏の鐔の中でも出来の良い作は勿論好きなのであるが、そうでない作もどのような事を考えながらこの鐔を作ったのかなどに思いを馳せながら鑑賞するのが楽しいのである。
そうした作の積み重ねがあるからこそ、ある時の大作が生まれている可能性が高い。
昭和から平成の鐔を複数見ていく事で成木氏の作風の変化が作品を通して感じられるところが楽しいのである。
古作は人物像が見えない事が多い分どうしても「作品の良し悪し」であったり、誰が所持していたかという「伝来」が蒐集の基準になりそうな気もするが、作家の記録が残りやすい幕末以降のものはそれらに加えて作家の「生き様」という付加価値があるように感じる。
私が成木氏の鐔で好きなのはまさにこの「生き様」の部分なのである。
とは言え成木氏の鐔も安いわけではない。
大体10~30万円位する。
故に見つけ次第片っ端から買えるはずもなく、私の場合は有名な古作の写であったり信家写などに現状は絞っている。
しかも物故作家になったからか値段も少し上がってきているような気もするが、何より最近は出物が減っている気がする。
オクなどでは怪しい?品も稀に見る。
成木鐔の現存数の考察は以前こちらでしたように数は多いはずであるが、直接製作してもらったコレクターが多いからかなかなか手放さないのかもしれない。
とはいえ大体毎年の大刀剣市などでは少なくても2~3枚位、多い時は5枚以上見かけるので、そんなに入手困難でもない。
都内の刀剣店にふらっといって入荷している事もままある。
個人的に成木鐔は図録に載っていない作にこそ面白い作が沢山現存しているので「こんな作も作っていたのか!!」と予想外の喜びが得られるところも蒐集する上で面白さを感じるところである。
もっと多くの作品に触れ、沢山の方に成木氏について話を聞いてみたい。
成木氏の故郷を訪れたい。
そしていつか成木氏に関する事をまとめて本にしてみたい、とそんな事を考えています。
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成木鐔に関するブログは以下で見れます。
↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)