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試し斬りに使う刀、よく話題になる

巻き藁をスパッと斬るシーン、かっこいいですよね。
そんなに切れるのか!と良く驚かされます。
私は試し斬りをした事がない人間なので、斬るという事に対しての知識も無ければ、斬る事でどういう感覚、気持ちになるのかも分かりませんが、どういった感覚で切れるのかは個人的に気になります。
よく簡単に切れるよ、と聞きますが果たして本当なのか…?

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(画像転載元:試し斬り wiki

しかし一方で時々「この刀を試し斬りで使うなんてけしからん!」と非難の対象になったりしていたりする事もあります。
過去には井上真改の重要刀剣を使用した人も居たらしく、今に語り継がれる程の悪行としてよく話に出てくる気も。(因みにこの話の情報ソースは知らないので本当かどうかは不明)

「個人の所有物は個人の自由」
「安いしボロボロの刀だから使っても良い」

などなど様々な意見が出てきます。
個人の所有物なので最終的な判断はその人に委ねられる事は間違いないのですが、こと古い刀については歴史を経てきたものであり「預かりもの」という意識は皆が持ってもよいのではと個人的には思う所。
ボロボロだったとしても今の時代にあえて更にボロボロにする必要はないし、大切に受け継がれてきたものを自分の使用欲を満たす為だけに使い消耗するのもどうかと思います。
なので私は安い刀だから使っていいとか、ボロボロな刀だから使っていいんだという意見には首を傾げています。

じゃあ一体どんな刀なら良いのか?
意見は人により分かれると思うのですが、私は存命な人の作であれば試し斬りに使っても良いのかなと思います。
刀工が存命であれば歴史はそこまでありませんし、まだ作を生み出す事も出来ます。試し斬りした結果はその刀工の方の糧にもなるかもしれません。
存命で無ければそれ以上作が作られる事も無いので、軍刀であれ、昭和以降の現代刀であれ消耗して作が減れば現存数が減る事になるので個人的にはあまり乗り気はしない。
でも例えば江戸時代の刀と昭和の現代刀どちらが使われるのが嫌かを想像すると、やはり江戸時代の刀が使われる方が嫌な気持ちになる。
これは歴史が長い分、大切にしてきた所有者の人を想像するからだろうか。
感覚的なものなので自分でもはっきり理由が分かりませんが、なんとなくそんな風に感じるところ。

この刀は使っていい、この刀は使っちゃ駄目、明確な線引きが無くすべては所有者判断となるので、これからも試し斬りで古い刀が使われることもあるでしょう。
重要刀剣にする為に銘を消して無銘にしたりとかも今回の試し斬りの話と同じことのように私は感じますが、私利私欲のために刀を破壊しない人が増えると嬉しく感じます。
存命な人の作でも刺身をさばいたりするのは反対です。
今も昔も神仏に捧げる意識で作刀されている方がいます。
作者が構わないなら良いのかもしれませんが、作者が不快になるようであれば控えた方が良いかもしれないですね。
物には物の用途があり、刺身には刺身包丁がありますから。


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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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