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成木鐔㉝ 昭和期と平成期の作風をどう捉えるか

無銘ながら成木氏本人に打って貰ったと伝え聞いている鐔であり、手持ちの成木鐔の中では一番地鉄が良い。
製作年について確かな年は分かっていないが昭和40年代ごろと聞いている。

この鐔しかり昭和50年代の鐔を見てもしかり、信家写しの成木鐔をいくつか見てみて「写し」というレベルの物はこの時に既に完成形を示している気がするし、現に平成に入った後の信家写よりもこの当時の物の方が本歌に近い作風を示しているように感じられる。
冒頭の地鉄が良い、とはそういう意味で使っている。

古くから成木氏を知る方から聞くに、この昭和40年代は関の刀匠に打って貰った鉄を用いて製作していたというから、それ故に地鉄が良いのではないかと仰っていた。
自家製鉄による鐔作りは昭和50年頃から始めたと自著に記されているが、この昭和40年代の地鉄を目指して自身で製鉄から研究するようになったのかもしれないし、はたまた信家鐔しかり、尾張、金山、古刀匠、古甲冑師、京透など様々な鉄鐔の本質を探るにあたり砂鉄の研究や自家製鋼は必須だった故に始めた事かもしれない。
個人的には後者な気がしている。

話を戻して、平成に移行してからも同じく信家鐔を製作しているが(以下)、正直なところ作風としての完成度が高いのは昭和期の物に思う。
そう感じる理由は艶々した成木氏独特の地鉄であり、これは視点を変えれば個性とも言える。

平成5年の信家写

私が言える事でもないが、作家は写しばかりをしていても個性は出ないし本歌である信家を超えることは出来ない。
アート的な視点で考えると、有名な作家の絵をコピーした紙にアート性が無いように写しには何もアート性が無い。
しかしそこに作家のオリジナルさ、作家らしさ、が加わる事でアート性、アートとしての価値が出て来る。
写しと近い言葉に「倣う(ならう)」という物があるが、これは本歌を参考にしながら製作者のオリジナリティを交えた作に使われる事が多い。

そういう意味でいうと昭和40~50年頃の作は忠実な写しでアート性は低いが本歌に紛れそうという技術としての上手さが溢れている。
一方で平成頃の作は本歌と比較すると見劣りしがちだが、成木氏の個性が出ている作が多くアート性が高い。

現代の刀業界的には前者の方が傑作として語られる事が多く評価が高くなるのだろうが、成木一成という作家にフォーカスを当てた場合、評価が高くなるのはもしかしたら平成頃の作かもしれない。

どこに行ってもどちらが優れているかという話題になりがちであるが、1つ面白いと思えることは昭和期と平成期、どちらの作風が好きかという議論が他の方と出来る土台があるという点で、そこがまた成木鐔を面白くしている所にも感じている次第です。



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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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