日本刀に関する二大誤解とそれを解く事が正しいのか考える
日本刀に関する二大誤解は以下の2つではないだろうか。
・日本刀は何百万円と払わないと買えない物である
・日本刀の所持には免許が必要であり誰でも持てるわけではない
刀は数万円から買える物もあるし(逆に上を見たら憶円ないと買えない物もある)、刀の所持にあたり免許などは存在せず、基本誰でも所持する事が出来る。何ならネットでも買える。
保管方法に細かな決まりがあるわけではなく、警察が家に見に来ることもない。
・一桁万円で買える刀について
さて一桁万円で買える日本刀がどういう物かと言えば基本的には脇差と呼ばれる長さが多く、時代で言えば新々刀や新刀あたりの無銘だろうか。
無銘とは作者の名前が刀に入っていないという事であるが、今から約400年前の新刀や約250年前の新々刀の時代というのは生ぶ、つまり製作当初の姿のまま残っている刀も多く、そうした場合は脇差と呼ばれるサイズにも銘があるのが普通であり、逆に脇差サイズで銘が無いものは「なぜ銘が無いのか?」という一抹の疑問が残る。
鎌倉時代や南北朝時代の刀は、後世の人が使いやすくする為に茎方面から短くする事で使いやすくする工夫がされるわけであるが、新刀以降だと初めから脇差と言うサイズを作っているわけであり、摺り上げる必要が無かったと考えられている為である。
とはいえ勿論新刀や新々刀でも摺り上げて無銘になった刀もあるだろうし、家宝の刀を無銘に摺り上げて使った、という可能性も可能性としては低いものの無きにしもあらずではあろう。(多くは銘を残しつつ、区送りで数cmだけ短くしている物は良く見る)
しかし折り返し銘や額銘などに見るように古来より刀の銘が大切にされてきた事を考えると、多くは鎌倉時代や南北朝時代の古刀と呼ばれる刀に似せて作ったものではないか、つまりある時代にてその刀を高く売る為の工夫とも考えられるわけである。
だから悪いという話ではなくて、イレギュラーで疑問が残る物だから美術的観点で見ればその分値段に反映されて安くなる、という話である。
後は脇差というサイズは手頃な長さで鑑賞しやすかったり、江戸時代は貧しい武士ではなく、お金のある商人が名工に脇差を作らせていたという話も聞く(商人は脇差のみ帯刀出来る)。
なので脇差には良品が多いらしいのだが、そんな事実とは裏腹に需要と供給のバランスから太刀、刀、脇差、短刀の中でも一番安くなっているのが現状である。
という事で「新刀や新々刀の脇差の無銘」は基本的に刀の中でも一番値段が安い。(但し鎌倉時代の太刀を摺り上げて脇差サイズになっている物は普通に何百万円するケースもある。)
・一桁万円の刀に錆や疵があるのは当たり前
尚一桁万円の刀には錆や疵が目立つ事が多い。
研いで綺麗にすると十何万円という費用が掛かるが、一桁万円の刀にそれだけの費用をかけて例えば50万円で売れるかと言えば売れないので、研がれないケースが多い。
なのでそれらの刀に目立つ錆や疵があってもこの価格帯であればしょうがない。自分が買う事で刀を研ぎに出して綺麗にして大切にしていけばその刀は喜ぶであろうし立派な文化財保護の立役者である。
錆や疵が目立つのがどうしても嫌であればもう少しお金を出すしかない。
・誤解を解くのも悩ましい
一方で「日本刀=全て高価な物」という誤解や、ネットで誰でも簡単に買えるという真実を大衆に知られない事は事件に刀が使われる事の一部抑制になっていそうなのであまりにこれらの事実が知られるのは悩ましい所でもある気がします。
しかし愛刀家の中にはまずはお手頃な価格帯の刀から、と思って買われる方も沢山いてそこから刀の魅力に浸かる方も多いので難しい所です。
でも考えてみれば刀が本当に欲しい人であれば自分でネットを検索していくら位で買えるかは比較的直ぐに分かるでしょうし、数千円で買える包丁と比較すれば一桁万円でも高級品であることには変わらない。
それをわざわざ買ってまで事件に使おうという人は少ない気もするのであまり関係ないのかもしれません。
という事で私個人の意見としては、この二大誤解はどんどん解いていくべきに思います。
因みに刀を知らない周りの人からは「良く人斬りたくなる?笑」と聞かれますが、むしろ逆で刀を見ていると心が落ち着くものです。
愛刀家の方なら分かって頂けると思いますが如何でしょうか?
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)
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