「ツキトウサギ」とは何だったのか。
今回は「圧勝」の作者によるアクション漫画、「ツキトウサギ」の話をする。
最初に断っておくが、今回私は「ツキトウサギ」の単行本を買っていない。それでは批評をする立場としていかがなものかと思われそうだが、「圧勝(全13巻)」をまとめ買いしてすごくすごく後悔したからなので、許してほしい。
ただし個人的には、「圧勝」はまだ「吉田」というキャラを描くのが楽しいので、資料のために見返す余地がある(吉田を描くのが楽しい人間など作者と私くらいなものだろうが)。
しかし「ツキトウサギ」には何も無い。
それは、コメント欄初手封鎖ということから始まる。
前作の「圧勝」では、コメント欄が一種の遊び場と化していたが、「ツキトウサギ」ではそれすらできなくなったのだ。
コメント欄が封鎖された理由は明らかとなっていないが、コメント機能がついているマンガアプリでコメント欄を封鎖された作品はこれが史上初めてではないだろうか。今回のケースにおいては「語るな」というプレッシャーすら感じた。
そこまでして小虎先生に描いて欲しいのは何故だ? という疑問が湧くが、こちらも情報がないため憶測でしか語ることは出来ないだろう。
次に、キャラの描き分けが「圧勝」以下になってしまっている。キャラクターの数が「圧勝」より増えたというわけではない。だいたい同じくらいである。にもかかわらず、ダブって見えるキャラが複数いる。
「圧勝」はまだキャラが多彩と言えば多彩だったのに……。
次は内容に触れていこう。「ツキトウサギ」の設定としては、ざっくり言うと地球が別の生命体A(以下、タヌキ)と別の生命体B(以下、ウサギ)の争いの場になってしまい、人間たちはウサギに飼われているような状態というディストピアSFモノである。
設定だけ聞けばよくあるもので、面白く料理できそうなものなのだが、それを毒にも薬にもならない、砂糖でもなければ塩でもない、口から吸収しても何の栄養分も得られないものにしてしまっている。
例えば、第1話で人に化けていたタヌキをウサギが発見し、ウサギの手から出る炎で処分してしまうというシーンがある。主人公は人間とタヌキの間の子(自覚なし)で、ウサギの出す炎が効かないことが同じく第1話で分かる。
……何故間の子である主人公には炎が効かないのに普通のタヌキは炎でやられてしまうのだろう。
「圧勝」と同じだが、このようにところどころに矛盾を感じるシーンがあるので、そっちの方にばかり目がいってストーリーを追えないのが致命的である。
登場人物同士の会話も、相変わらず本人たちの間では通じているのだろうが、読者には伝わってこない。肝心のアクションシーンも何がどうなったか分からない。
ある意味で、これは小虎先生にしか描けない漫画かもしれないが、本当にそれでいいのだろうか。本当に人の目を通して世に出せる漫画として創られているのだろうか。
こんなに味のしない漫画なのだから、「なぜこれが看板作品のように掲げられるのか」と憤る読者がいるのも納得である。
そこで、「ツキトウサギ」はもしかしたら「料理店に入って一番初めに出される水」なのではないかという考え方をしてみてはいかがだろう。そうすれば少しは納得が――。
しかし、よく考えてみたら「水」を全面的に売り出している料理店がヤバいだけだということに気がついた。なので今の例えは忘れて欲しい。
とにかく、「圧勝」は一応13巻は出せた作品であるのに関わらず、今回の「ツキトウサギ」は全4巻で終わってしまった。コメント欄という作者からすれば困る存在がなくなったにも関わらず、短期で終わってしまったということは、売上が伸びなかったということだろうか。
「圧勝」連載時は、トークイベントの謳い文句に「アンチに“圧勝”するための! メンタル保全術」くらいのことは書いてあったが、今回はコメント欄を閉鎖したことでアンチ自体が発生しなかったので、一人試合になってしまったのかもしれない。
少なくとも、「ツキトウサギ」は、漫画家というシビアな職業の中にも特例があるということを我々読者に教えてくれた。
また、どこかで小虎先生の名前を見かける日は来るのだろうか。次は、いい意味での話題作をお創りになられることを祈る。