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他人軸で生きてきた僕の考え方

こんにちは。塊です。

自分の中での疑問でもあり、皆さんにもお聞きしたいのですが自分の性格や自分についてどこまで把握できているかってとても難しくないでしょうか。

性格や成り立ちや環境は人間誰しも違うと言われますが、多分それは育ってきた環境に帰属するからだと考えています。

固定にも貼っているこちらの記事を読んでもらえればとは思いますが、僕は自分で考えることを放棄してしまった過去を持っています。

一歩前に出るということの怖さや自分を知ってもらうことの怖さを体験すると、行動より手前に先に考えるという癖がつきます。

結果を求めていたはずなのに、結論は出ないという袋小路に合う。

なぜかっていうと、答えなんてテストでもない限り、早々見つからない。
誰かにとっての正解は誰かにとっては不正解なことが世の常なので、その正解を求め出すと抜けれない・抜けようとしないというルーティンを生み出す。

だったら、自分で考えても仕方がないから誰かに任せてみようと本心というより心の奥底で考えるようになる。要は甘えであり、逃げです。

他人軸の人ほど、他責思考が強いと考えることはありますが、これは僕の考えでは別で、選択したことに対してどう広がるかはその人次第なので、選ばされたとしても自分で選択したことに変わりはなく、先の行動は先ほども言った環境や成り立ちから考えることが多いと思う。

自分軸の人と大きく違う点は、
『自分の人生なのに他人に任せている人生を歩んでいること』

他人と比べた時に自分が劣っていると感じる人の思考はたぶん全員が似たようなことを考えていて、もっとできるという自信や尊厳を持ち合わせていないケースがほとんどだと思っている。

じゃあ、自分軸の人はなぜ自分軸でいられるのか?という話になる。

結論から言うと

どんなに小さな成功も成功したと思えるからだ。
そしてマイナスなことを気にしないではなく、次にマイナスを踏まない方法を行動から学べるから。

僕はどこにでもいる一般庶民だし、上流の方々の考え方を理解している訳でもないけれど、考えたことはないだろうか。

「活躍している」「有名な人」「お金持ち」「楽しそうにしている人」などなどとの違いについて。

僕は真剣に考えたことがあって、わかったことが、上のこと。

失敗をしたくないと思うのは誰だってそうで、失敗を避けようとするのだけれど、失敗と認識していること自体レールが違うのかもしれない。

だって、失敗をしたから失敗をしないようにするだと、過程を除けばプラマイゼロになるだけで失敗を払拭できたとは言い切れないのだから。

そこで何を学べて何を出せるかが、他人軸と自分軸の違い。

他人軸の場合は失敗をしたと認識している数が多分多い。
だから失敗をしないようにするという思考を生みやすい
そのおかげで成功体験を全然積んでいない。

要は勝手に成功のハードルを自分で上げているということ。

ハードルの高さは人によって違うと思うけど、まずは自分ができそうなことのハードルを設けることが大事だと思う。

今の世の中、たいていのものが目に見えてしまうから自分の不甲斐なさや良くない点を見つけやすくて、比べる対象も正直たくさんあるけど他人と自分のハードルが同じだとは思わない方が心の持ちようもまるで違う。

大前提にあるのは、地道なハードルを成功として乗り越えてきた人たちはその経験を糧にすることができるということ。

成功を成功と思えないと、その経験は糧になりにくいということ。

追いつこうとするならば、その人の倍頑張るという根性論はあるが、
あれも設定しているハードルが同じじゃないと、差は縮まらない。

段階を飛ばしたハードルなんて乗り越えれないでしょってこと。

僕は今他人軸の生活から抜け出したくて、とりあえずやってみる。
やってみた結果、自分の中でどう感じたのかをまとめるようにしている。

そうしてみると案外、不安だったことってそこまで大きな不安でもないんだなって思う時もあれば、まだ乗り越えれない時もある。

そんな時は、人に合わせたハードルではなくて、
先ずは自分のハードルを確認してから行動すること
心がけると小さなハードルを乗り越えれたという糧になると信じてる。

ポジティブになろうではなく、自分でポジティブになれるように理解をしていくことが人生大事。

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