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色と気質 byハウシュカシューレ.Feb.2024


胆汁質の赤(朱)が、 
別の赤と喧嘩をしました。
粘液質のみどりが、
自身の心地良さを広めながら
喧嘩するふたつの赤を
なだめようとしています。
さて、憂鬱質の青は、もう一つの青と
寒さに震えながら孤独に座り込んでいます。
すると、赤がふたつの青をあたためくれました。
そして移り気な陽気な黄色が
他の色たに、光を投げかけてくれています。

色のストーリーを聴きながら、自身で展開していく、色の物語‥‥

なんだかわたしたちは、一言で言い表すことが多いなぁと、痛いほど感じました。
赤だって、あったかい赤と、冷たい赤、それぞれの言い分もあるし。青も然り。
物語を通して、色の個性の言い分がやいのやいのと飛び交っていました(笑)
物語が進む中、見えた個性とはまた違う一面が明るみに出ると(‥ふたつの青を温める赤‥)さっきまでの個性的な強さがホロッと崩れ、緑や黄色を介して、どんどん調和していくひととき。

グラデーションって、とってもサラッとした言葉だけれど。それよりも、混ざり合ったうえの、透明さも、濁りも、清濁合わせ待つ絵を観ていると、とっても胸がすっきりしてきました。

 『あなたがかいた絵の中心に、黄色い箇所があります。黄色の箇所を青くしなさい。中心の色を変えることで、全てのほかの色の感じが変化するようにしなさい。』Rudolf Steiner

さぁ、そこからの、黄色を青に。。。。オセロのようにひっくり返していく。
いままでのは、表層だったんだと思ったくらいに、ズンズンと冒険のように突き進み。
たったこれだけのことで、絵の世界がまたぐるぐると反転していく‥‥爽快感さえ感じつつ。
言葉にできない、でもこういうのっていいなぁと、絵の中と世界を結びつけている自分がいました。

途中のプロセスを見ていると、頭に浮かんできた色のおしゃべりが蘇ってきます(笑)
生まれたどの色も愛おしくなるような。
自分の小さな考えや、予定調和を超えたところにある存在に委ねて生まれるもの。
本来の遊びって大袈裟だけど、そういうものな気がしました。


最終的に徹底的に色彩に潜り込む

Rudolf Steiner
『‥こどもが1つの色を変えることを余儀なくされ、この変えられた色が正しい場所を見いだすことで、全てほかの色がそれに合わせて変化していくとき、こどもは徹底的に色彩の中に沈潜していくことになります。』

こどもがやっていたぬらし絵の偉大な恩恵のかけらが、Steinerの言葉によってあらわになります。
『魂が色彩の本質と結合を果たすための土台を形成する助けになる‥』
こう読むと難しいけど(笑)
ぬらし絵の中で、なんなく泳ぎ、潜り、身になる。
これを『集中的で質的な遠近感‥』の経験とも言う。なるほど。
言葉からの理解と、経験からの理解‥
こうして自身でやってみると、なんなくこのSteinerの言わんとすることが、感覚として分かってくる。
『量的な遠近感のみを学ぼうとする習慣ができてしまうと、人間は恐ろしいほど外面化されてしまいます‥』とも。
物語と共に動きはじめる色彩。
『このとき色彩の遠近法が生じます。
わたしたちは、色彩が空間をつくりだす存在であることを発見するのです』ワーグナーさんの解説もまた溶けるように分かります。

実践の中にある理解、こういう地道なことが、血となり肉となることだけは分かるお年頃になったいま。
ハウシュカシューレの学びを、どう生かしていくのか。それもまた楽しみ。





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