有名人にプライベートなどありません
今回の記事はある人物への反論だからすぐに消させてもらう。
読みたきゃ読めばいい。
興味がないならせっかくの機会だ。
俺のブログで一番ビュー数の多いこれを読め。
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「人の死に他言するな」
それがそいつの主張なわけだが、まぁパンピーの死を他言するなってなら分からなくもない。
人には人の都合ってもんがあるからな。
もっとも、多くの人間はパンピーの死なんか気にも留めないしパンピーは誰にも認知されずに死んでいくヤツが大半だろうがな。
しかし有名人ならば話は別だ。
言っとくけど有名人にプライベートなんてねーからな笑
それが有名税ってヤツだろーが。
俺は作家でありそこそこ名の知れた人物であり、その当事者だからこそ
〝有名人の目線で〟
対等に有名人の死について言及することが許される。
アンチや誹謗中傷にうつつを抜かす弱者と俺の意見を一緒くたにするな。
これは有名人の特権だ。
パンピーには真似できっこない。
パンピー目線で「有名人の死をネタにするな」っていうのは単なる綺麗事にすぎないのさ。
【追記】
『その時、生者には自分は死なないという無意識がある。これは浅ましい精神だ。』
↑
そんな無意識は誰にもないね。
自分もいずれ死ぬのだという自覚があるからこそ、人は人の死に敏感になるってもんだ。
周りの老いぼれを見てみろよ。
有名人の訃報が報道されるたびに、自分の死期が近付いていることを悟って嘆いている年寄りばかりだろーが。
問題はそこではない。
俺が提言してるのは「死に方」だ。
自殺(自ら人権を放棄する行為)と、天寿を全うするのとでは同じ「死」でも天と地ほどの違いがある。