81~85 全公開まとめ記事 カタカムナ時代の製鉄法、カタカムナ人の知恵衣類は植物でなければならない、驚くべきカタカムナの物流


81.「カタカムナ時代 縄文時代の 製鉄法」
82.「カタカムナ人の 生活衣服 天然繊維」
83.「何故衣類は 植物でなければならないのか カタカムナの知恵」
84.「驚くべき発達 カタカムナ時代の 物流技術」
85.「後氷河時代 通商美意識 航海技術」


81.「カタカムナ時代 縄文時代の 製鉄法」

今日は、カタカムナ時代や縄文時代、言い換えると弥生時代までの製鉄法を書きたいと思います。

目にはみえないコトワリ(物理)ですが、まず、材料は火山から溶出した鉄塊の自然の鉄鉱石を集めて、山頂から吹きおろす強い風を利用して、山の斜面に設けた焼きもの用の炉に金目、をおろす(金層成分)その鉱石を焼く。(金芽、要焼)そして、鉄の材料にします。
自然の鉄塊を焼くことによって、その塊の表面からタラリタラリと流れ落ちるものを溜める方法が(流れおちる硫化鉄を溜める技術のこと)第一の工程としています。その時、炉に風を送って燃焼させながら鍛造(たたく)ことによって、吹きわけて金属分をとる方法、鍛冶吹き技法は現代でも使用されています。これは天然の溶融理にかなった技法です。

次に、自然の鉄塊を焼いて流れおちる黒い鉄塊と栗毛色の針状の鉄を、火床の焔の中で風を送って焚き焼きを行い、赤橙色(あかねいろ)になるまで加熱する。炉に風を送って燃焼させ、たたきながら吹きわける鍛冶吹きの技法と言われるものがありました。
栗毛色に尖った自然鉄は、赤い焔の火でやきながら金槌で打撃し、冷やしてさらに焔の中で焼く。この工法を通過することによって、艶(つや)のないくすんだ鉄が鉄色の銑鉄の状能になり、白色の添いだ粗鋼の段階へ進みます。たたいて炉に風を送って燃えさせ、鍛冶吹きの技法によって金属分をとる。とり出した金属分は、熱が冷めるまで連続的に打撃する。冷えたら、今度は白い色の輝きのある高熱焔の中で再び焼く。

この高熱で焼成するときには、重い鉄槌で調子を合わせながら打撃して形身を締めるのです。それは鍛冶吹きの技法と言います。
その後は、焼いた土の泥を塗って、もう一度繰り返して焼く。(泥に水を混ぜたものをぬれば直火の酸化を防ぎ火を弱めて再度焼くことができます)
引き続き、高い響音をださせながら、鉄槌で廻し打ちして、鋼材の形の歪みを無くす。
ためしなおしとした鋼材を燃焼している火床にさし入れ、状態をみながら自由に引き出して打撃することを繰り返すと材質は熟成された焼成になります。
それを熟成湯の池に入れて、またそれを火床の傍において徐々に加熱して焼く。
火焔の立たない火床でひきのばして、焼くと、鉄板の伸びが一方に片よるように打ち、片刃をつくる。煌く火の火床で白色焔に加熱されて統湯の池に入れて焼き入れを行う。
上部をはさみでつまんで仕上げ打ちを行う。これは伝統的鍛冶吹きの技法であり、天然の鉄鋼の技法にかなったものです。
これを繰り返して、昔からかなり精度の高い製鉄が行われており、今でも大英博物館の中に現存していると伝えられています。

82.「カタカムナ人の 生活衣服 天然繊維」

今日は、縄文人やカタカムナ人はどのような衣服を着て暮らしていたかについて6000年前の、すなわち弥生文化以前の衣類について日本の古代文献に服飾法のウタが残っているので、それを2回に分けて書いていきます。
そのウタをカタカムナウタヒの解読法で解読してみると、衣類もすべて自然の循環をさまたげることがなく、植物から作られて現在地表に生息している木や草の加工によって布をつくり、それをぬい合わせて衣類をつくる方法が示されています。形や縫い方の説明によると、冠着、袖のある着物、袴、下着(直接身につけけるもの)等の、それぞれの作り方としてその為の布のつくり方の技法や縫い方が詳しく詳細にえがかれていることから、着物の姿はおそらく古事記や日本書紀の神々としてえがかれているような風貌であったと思われます。
植物の性質を生かしきった、夏は涼しく、冬は暖かい、夏涼冬暖の複雑で美しい衣類を用いていたにちがいありません。従って、教科書で習った毛皮を着用し、石斧をもって獣を食し、木の実を採取して原始的な生活を送っていたと教えられていた、12000年前のイメージは、大きく変換をせまられる事になるでしょう。毛皮のことも絹のことも、マツロユフミチには全く出て来ません。日本につたえられてきた、むかしむかしあるところにではじまる、昔話の多くの中にあるように毛皮を着たよくばりじいさんは、生命を粗末にした咎で、またあたたかいものを着ているという、自信から働かないで快楽ばかりを求めていた結果として、寒さに負けて死に至る。また、働き者で軽やかに、はたおりをして作った衣類を着た、万物を愛するやさしいおじいさんが、そんな、厳寒の冬の中でも木こりをして、木を間引きし、木の皮や草で作った美的に美しい衣類を着て働く運動によって、体をもやし、末端毛細血管の中まで活発化させ、長寿で幸せな暮らしをしていたことの伝承がこのむかしのウタヒの文献をよみとくことで、なるほどなるほどとうなづけます。
木を切ることが大切な理由は、春になると木が水分を吸い上げ、非常に木を切ることが難しくなりますし、しかも乾かすのに時間がかかります。だから、冬に木を切ることがとても理にかなっているのです。

83.「何故衣類は 植物でなければならないのか カタカムナの知恵」

今日は、衣類についての後半を書きます。
つまり昔の伝統である、ものづくり、自分が使用する以上にものを生産する。その循環の中に生きがいを見出し、自然の摂理と共に生きていく。欲望ばかりにまみれた現代社会に於て成人病とよばれる過食が生命をむしばみ、素食と運動による生活こそ、豊かな暮らしが出来ていたことがこの時代からさとされていた事になります。
今になって人間が気づきはじめている様に、毛皮より暖かく、無機物から生命を生産出来る植物というものを十分に活用しきって正しい循環社会を形成していたと思われます。
その植物というものは天然自然から作られた植物の内部から送られてくる栄養分は養は外に滲出するが、外部から管内に浸水することは出来ないという天然の仕組みの性質、草綾理すなわち膜性繊維は人間の生活の衣類として非常に自然の飽和還元の循環システムの中で理想的なものであると述べられています。
材料として具体的に書きのこされているものは、桧の形成層皮、長身に直線上に育てた麻の茎身を用いた麻糸、ハダケワタの花からつくる綿から布をつくる方法、綿布をよりやわらかに着ごこちよくする方法の詳細等も、ことこまかに記載されています。
桧の筋繊維のとり方、麻の繊維とりに流水を使用する。麻は逆さ吊りをして乾燥させないと切れやすくなる。保存の時の荷重のかけ方、柔軟性の出し方、梶木打ちして張りを出す方法、木渋(タンニン)の塗り方、綿については肌に直接着るものに使うので、手ざわりよく、やわらかくする技術等が説明されています。
そして、衣類の着用の形としては、冠着、袖付の上着物、袴、汚れよけ、直接肌などにつける等のことについて書かれている。また一つ一つの技法の説明と共に、マツロユフミチ(服飾の編み織る技術の道)はカヤアカメ、草葉の仕組みをよく理解したうえでそれを逸脱しないようにと、くりかえし、くりかえし自然の循環と合わせるように説得しています。

84.「驚くべき発達 カタカムナ時代の 物流技術」

今日は、これも目にはみえない直観のコトワリ(物理)でありますが、カタカムナ人がモロアキドミチと呼んでいた、商人道について書き残されている古代文献の話を2回に分けて書きたいと思います。
古文献では商人の天然摂理をモロアキドミチと呼んでいたのです。
 
すべての物質に正反の端があるように、すべてのものには天候や環境の違いによって、充分に足りている状態と不足の状態の場所があるのです。このように正反の状態がおこると、その両端の間には循環が繰り返しおこるようになります。それによって求めるものと望むものが存在するところに流れが生じます。これが商人と呼ばれる人の知るべき道であり、正反対向発生の天然の現測と同じ相似象なのです。
物の多い地と少ない地があった場合、それを交換するのが一番無駄無理がありません。その流れを読み、時期を計り一番良い時期に交換することが好ましいのです。
終わりのない食料の求めに応じる商いをするには、山野で狩ってくるもの(鳥や獣や山菜など)耕作によって田で育成するもの(穀物、果物、野菜など)と海からの狩りもの(魚貝海草)などがあります。
その他食料以外には、制作材料や加工築造の材料や暮らしに使うもの(日常生活の衣服、用具等)がありますが、それらはすべて生産や消耗の循環であり交換されるのが一番物としての効率がよいのです。
それが天然の摂理に従った商売の道を発生させます。

85.「後氷河時代 通商美意識 航海技術」

今日は古代文献に残された商人の道の後半を書きます。
それ以外にはまた、人間の感性によって流行と変遷のあるものがあります。どんどん新しく生れてくる品々は、人の心によって姿形をかえることが頻繁にあり、使う時期にも限界があり、同じものがずっと売れ続けるわけではないので、商人はその根本原則を知って商うのが道なのです。衣食住に必要なものの商人の仕事が生まれてくるのです。
そして、食材以外を商うときは、耐久性を確かめ、品傷みのものを除き、お客様の好みにあったものを多量に寄せ集め、常に備えておく必要があります。また人の世のあらゆるもの(八百万)は、共に支え合うことによって成りたっています。そのように需要と供給を考えてみると、他のものからその品がどれだけ頼られているかに基いて作られる事、それがすなわち価値なのです。
この原理原則が本来の商人の道であり、宇宙の心の正反対向発生の天然則と同じ相似象なのです。ここに心をとめ誠実な商いをする限り、目にはみえないコトワリ(物理)ですが、人間の生活を幸せにする天然則に従った相似象の道に従った生活ができます。
そして商人として生産ではなく流通によって人からの頼り、すなわち信用を培うためには需要者と供給者の両方の要求に奉仕する心をもって睦み(親和)をますます増加させることを忘(わす)れず、多くの人に奉仕することが本来の商人の道であり、天然則の基本です。
この文献によってカムナガラの道を読み解くと、すでに交換経済があり、商いが行われていたことは明らかです。またそのころ、新潟県あたり宝飾品が北海道で出土することなどから、美意識もしっかりしていて、より美しいものを作り求める社会性が6000年前には氷河期もすでに終了していて、陸続きではなかったはずですが、重要な産物が海をわたって交換されていたことを立証されます。さまざまなものがあることから、航海技術も相当に発達していたと想像されるのです。





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