105.「カタカムナ文明 八鏡文字 相似象学」

 今日は「カタカムナ文明 八鏡文字(はちかがみもじ、またははっきょうもじ)といわれる図象符と相似象学」の関係について書いていきたいと思います。
 楢崎さつき、又は楢崎こうげつと言われる物理学者の方が終戦直後、兵庫県六甲山系金鳥山、俗称狐塚の辺に於て、平十字氏より示された、「カタカムナ図象文字」による巻物が基になって居ます。楢崎先生は、それ以前に、満洲に於て、老子教の虚有三老師より、日本の古代には、高度の文明をもつ「贈仁入族」が先住していて八鏡文字を使っていた、という、老子教の古伝をあかされていたので、このカタカムナ図象文字が、その八鏡文字ではないのか?という直観と、純粋な好奇心から、解読を志したのです。
 楢崎先生と宇野多美恵女史はその文献内容の解読に全力を注ぎ、且、その内容の重大さを、最大の根拠として居ます。従って、その時代を考証するとか、物的証拠を固めるというやり方は、後まわしにになって居ます。もとより、物的考証の試みは、個人の能力の限界を越しているのですが、ところが、一般の人々にとっては、内容の「実質」などよりも、先づ、それに関する確かな物的証拠の有無が先決条件で、それを示さねば、アタマからうけつけようとはしないのが大半です。
 最近、アスカ期前後の考古資料が、各地に発見されつつあるように、これだけの文化をもったカタカムナの遺物が存在しない筈はないのですから、必ず、将来、発見される事には間違いありません。しかしそれは、おそらく、アスカ期頃の資料の発見以上の、非常な困難さが想われます。唯、私達が、そのような物的証拠を要求する人々に言いたい事は、このような場合、従来の、考古学的な考証のみを証拠とする、狭い解釈にこだわる限り、日本の古代史は進展し得ないので、私達が、カタカムナ文化の、何よりの、ゆるぎない「物的資料」と確信して居るものは、我々が現に、今も使って居る、この 『日本語』と、 『カタカナ文字』です。
 私たちが、今、公的にもって居る最古の文献は、古事記、日本書紀、古語拾遺等であり、そこに記された言葉が、最古の日本語の記録とされています。しかし、イザナミ・イザナギ・アメノミナカヌシ等々の、単なる自然発生的な固有名詞とも思はれない言葉が、一体、何を意味をして居るのか?は、全く不明でした。そのナゾを解くものが、私達のいうカタカムナ図象文字による文献なのです。
 カタカムナの解読によって、今まで神や国の名などとして伝えられた言葉の意味がわかってみれば、それらが、到底、後代人の、古事記、日本書紀等の作者の智慧などで、創作できるシロモノではない事が明らかになり、又、現行のカタカナ文字は、漢字の省略がもとになったのではなく、カタカムナの音声符を原型とするものである事も、判明したのです。カタカナ文字の起源に関する本格的な研究は、今日まで、ありませんでした。このように、カタカムナの上古代より、現代の我々にまで、受け継いで使われてきたこの 『日本語』と 『カタカナ文字』こそ、何よりも確かな、民族の遺物と観てもよい、「物的証拠」ではないかと思われます。
 この、最も大きな民族的遺産であり、今もなお、そのおかげで、我々が「日本人」と称ばれ、それが骨肉にまで浸透して、我々の精神構造をも支配し、日本人同士には、極めて当たり前の何でもない事として通じあえることが、外国人には、まことに「奇妙な、フシギな民族」のように思われる、この「日本人の日本語」というものを、その発祥のカミ、すなわち「起源」にさかのぼって究明しうる者は、その起源の先祖以来、その日本の地に住み、この日本語によって代々を生き継ぎ、その微妙なニュアンスのハシバシまで、こと細やかに感じ分けることのできる、我々日本人自身の手による以外、あり得ない筈です。ギリシヤやスメルやアソカ等の古代の文字の解明に燃やされたと同じ情熱を、私たちは、我々の古代の言葉に注ぐのは、当然だと思います。




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