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『探墓行』琴古流系伝承者の墓巡り☆後篇

琴古流系の偉人たちの墓巡り(墓参り)、尺八研究家の神田可遊氏が企画する『探墓行』の予行演習に同行させて頂いた。

その後篇です。

前篇はこちら↓

初代古童(豊田風憬)〜二代目古童(荒木竹翁)〜久松風陽と巡ります。

さて、

後篇、深川へ。


初代古童の眠る、深川えんま堂


真言宗豊山派 賢臺山 法乗院


山門入ってすぐ、目の前にお墓があります。
 

拡大。


尺八が美しく掘られている、
素敵な墓碑です。

お寺のパンフレットにも。



豊田風憬(初代古童) 略歴

生年不明-1851年 
江戸時代後期の尺八奏者。
初代山田如童、久松風陽に学ぶ。
古童、のち風憬と号す。
嘉永4年(1851)4月27日死去。
通称は勝五郎。



賢臺山 法乗院 HPより

墓前での献奏を終え、閻魔さまにお参りを…、なんと、一つ一つ願い事に分けてお賽銭入れがあり、硬貨を入れると、照明が変わり閻魔さまからメッセージが!

「おおお!」となります。

どこに入れようか迷う…。
というか、全部入れたくなる。



そして、蔵前駅にて下車し、新堀通りを北上。この辺りに浅草広小路(現在の雷門通り)から移転した一月寺の番所があったそうです。

途中からかっぱ橋道具街通りになり…、

カッパが飛んでるカッパの電灯。


ウキウキしつつ、戸張焼印製作所の前を通り過ぎます。

東京で唯一の焼印屋さんだそうな。

焼印って、尺八以外には何に使われているんでしょう?今度お店で聞いてみたい。


そして、

二代目古童、荒木竹翁の墓


臨済宗 霊梅寺
 

蜂須賀阿波守が隣の海禅寺の霊梅軒として創建。


荒木古童(竹翁) 略歴

文政6年(1823)‐ 明治41年(1908) 
近江の水口藩士荒木亀三郎の三男。本名は半三郎。幼年から尺八を好み、14歳で一閑流の横田五柳に師事し、主に外曲を学ぶ。
虚無僧渡世にて、日本橋で豊田古童と出会い、本曲と外曲を学ぶ。古童没後二代目を名乗る。

詳しくは神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』にあります。

荒木家之墓


『荒木古童翁之古伝』が生前出版されている。

『荒木古童翁之小伝』
国立国会図書館アーカイブより



隣の海禅寺参道


海禅寺の縁起
海禅寺は、慶長8年(1603)に起立、寛永元年(1624年)神田明神北妻恋に草創、寺号は下総国相馬郡に平将門が創建したとされる同名の寺に因んで命名したといいます。振袖火事の後、当地へ移転しました。蜂須賀家をはじめ諸侯から厚く庇護を受け、「阿波様寺」とも称されている。


明治28年、樋口対山が上京した際、竹翁に習うためこの海禅寺に泊まったとのこと。東福寺(京都明暗寺)の和尚に紹介されたそう。


んー、

ここに樋口対山が泊まっていたとは感慨深い…。対山と初代川瀬順輔は知り合いだったとのこと。初代川瀬順輔師と谷北無竹との写真もあり、尺八愛好者たちの交流が盛んであった事が伺われます。



そして、
ここから歩いて30分ほど行くと…

スカイツリーを眺めながらずんずん東に向かう。


久松風陽の菩提寺


霊亀山 慶養寺

久松風陽は、徳川譜代、旗本久松家に生まれる。東部尺八長者と呼ばれる程の名手で、琴古四代目。

残念ながらお墓は残っていない。



久松風陽の記した『独言』についてはこちら↓

私にとっては一番の指南書となっております。


さて、琴古流系の『探墓行』は、久松風陽で締めくくりです。



今回は江戸後半から明治期にかけて活躍した尺八奏者のお墓を巡りました。

案内してくださった神田氏に感謝です🙏

底なしの知識と体力の持ち主である神田氏。せめて体力くらいは頑張って追いつきたい…笑


これらの琴古流伝承者たちが居なかったら今どうなっていたかなんて、分かりませんが、単にただただ尺八が大好きだった!という大先輩と言う事で、尺八愛好家の皆さんも是非「私も好きなんです!」と墓前に挨拶しに行ったら良いのではないのでしょうか。


今回の『探墓行』、こうして予備知識を得た事で次回の本番も楽しみです🎵


そしていつか私も探墓行伝承者になれるよう頑張らねばと思うのでした。

古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇