近所の辻立ちどころ。(酔っ払いや博打うちが愛おしく感じる瞬間に出くわす☆コム活)
ここで言う「どころ」は、
の、「どころ」です。
だいたい、辻立ち出来る場所は決まってくるので、いつもの「◯◯処」みたな感覚になってくる気がしないでもない。
いや、
タイトルに勢いで「どころ」と付けてしまったばかりに、どうでも良いことをまた書いてしまった。
辻立ちを「◯◯処」にするなんて、なんて罰当たりな!
何かもっと気の効いたタイトルをそのうち考えます。
最近、というかコロナ以降あまり路上演奏の人びとを見かけなくなりましたが、とある人によると、あまり同じ場所でやりすぎると飽きられるので、半年くらいは時間を空けて行くことを決めいる人もいたりするそうな。
私の場合は、行ける範囲が決まっている(あまり遠い場所に行っても毎日赤字になってしまう)ので、短い間隔であちこちに辻立っている。
と、いうことで、
その毎度おなじみになっているかも知れない、いつもの近所の場所で辻立ちをして来た。
5月の連休前。
駅はたくさんの人が行き交っております。
明日からの長い連休のせいか、いつになく、子どもたちも素っ気ない気がする。いや、会社と違って学校はずっと連休じゃないか。
戦争がはじまって2ヶ月が経ち、何か人びとの心に変化でもあるのかも知れないなぁなどと考えつつ、、、そんな中でも気がついてくださった通りすがりの皆さまに感謝です🙏
さて、そりそろ終わるかな、なんて思って吹いていた時、
いかにも酔っぱらいのおじさまが小銭を一枚、私の目の前に差出し、下に置いてある偈箱に入れて何か呟いて行ってしまいました。
あ!いつものおじさん!
久しぶり。
同じ場所で何度もやっていると、やはりお賽銭してくれるのも同じ人だったりします。
以前、目を瞑って吹いていた時、ふと目を開けたら、小銭を持ったおじさんの手が私の目の前にあって、超ビックリしてのけぞった事がありました。
パチンコで負けちまったからよ〜。これしか無いのよ。
とか言いながらチャリンと入れてくれました。
(おじさん❤️)
酔っぱらいや博打打ちが、愛おしくなる瞬間があるものです。
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇