静岡宝台院の「尺八碑銘」の碑
荒木古童の弟子、柳居青翁の功績を称える碑銘。
静岡駅西側に、浄土宗の宝台院というお寺があります。
伝馬町にあった古地図
大きなお寺であったことが分かる。
宝台院は、徳川家康公の側室お愛の方(西郷の局)の菩提寺。
1940(昭和15)年の静岡大火で焼失する前は、国宝の大伽藍を有した浄土宗の名刹であったとのこと。
その後、復興した諸堂宇も1945年の静岡空襲で全焼。 そして1970年、鉄筋の新様式本堂となり現在に至っている。
西郷局(お愛の方)之墓
静岡市・重要文化財
その左隣には、
徳川慶喜公謹慎之地 の碑
その宝台院に柳居青翁という人の功績を称えた「尺八碑銘」がある。
柳居青翁は荒木古童の弟子であるとのこと。
大火や空襲から焼け残った石碑が立ち並んでいる中に、その碑はある。
「尺八碑銘」
裏面には、建碑首唱者姓名
36名と、石工大谷幾蔵の名前が彫ってある。掛川、岩淵、子鹿、沼津、浜松、尾張等の地名あり。
この碑文の要約は、
その横の漢字が4つづつ並んだ漢文は、古漢文で、文体は漢の時代から始まった『駢體文』と言う詩のもの。知人の中国人の方に教えてもらいました。
駢文(べんぶん)とは、中国の文語文における文体の一つ。「駢体」または「駢体文」ともいう。散文・韻文に対立する文体で、魏・晋のころに形成され、六朝時代から唐にかけて盛行したとのこと。
碑文全体の内容としては、尺八の歴史、音色の賞賛、日本伝来以降の変遷、明治維新後の没落していく中の寂しい心境の描写、柳居青翁の功績を称えた詩となっている。
冒頭にある「虞舜」は中国の古時代伝説上の名君(紀元前2128年— 紀元前2025年)として、尊敬されている王。笛を作ったのは伝説で、恐らく悠久なる歴史が有することを表現しているかと思われるとのこと。
真ん中辺りにある「如喜如泣 如訴如悲」は、宋の蘇東坡の「赤壁の賦」から来ているようです。
その中の前赤壁賦の一部分。
客に洞簫を吹く者有り。歌に倚りて之に和す。其の声鳴鳴然として、怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴えるが如く、余音嫋嫋として、絶えざること縷の如し。幽壑の潜蛟を舞わしめ、孤舟の寡婦を泣かしむ。
【幽壑(ゆうがく)】とは、深い谷のこと。
【潜蛟(せんこう)】とは、水中にかくれているみずち。みずちはへびに似た、想像上の動物。
この「赤壁の賦」に描かれる洞簫の音色を、尺八に例えている文献が、時々見られます。
古い記述では、安藤為章(1659年 - 1716年)の『年山紀聞(ねんざんきぶん)』という随筆に尺八の記述があり、「東坡赤壁賦に洞簫の音がよく形容されている」とある。
詳しくはこちら↓
こちらは竹内史光師の発行された楽譜の見開きにある書。
舞幽壑之潜蛟 泣孤舟之寡婦
よっぽどしっくりくる表現なのでしょうか。
さて、
この碑文の撰文と文字を書いた関口隆正とは、初代静岡県知事で元幕臣の関口隆吉の養子で、当時の著名な漢学者。
養子となった父親の関口隆吉とは、
関口隆正の実の父親、清水礫洲とは、
なんだかすごいお家柄です。
話は柳居青翁に戻り、
彼をこの宝台院に逗留させた、住職謙賀和尚とは、宝台院28世の謙賀上人。
柳居青翁は、荒木古童(竹翁)から、吉田一調の吹料であった、竹翁作の四ッ焼印の銘「獅子吼」(上無調子)という尺八を「予押而懇望に付、翁より我が手に付與す」として譲られた。
吹料とは尺八用語で、その人が現在使っている尺八のこと。
上無調子の【上無(かみむ)】とは、 雅楽十二律の一つ。洋楽の嬰ハ、中国十二律の応鐘の音に相当。
そして、その「獅子吼」という尺八を、柳居青翁は明治24年に生前の形見として、弟子の長谷川青柳(權平)に付与したという記録が残っているそうです。(『三曲』1931、12月号)
また、「尺八碑銘」の裏面の「建碑首唱者姓名」の中に、堀内波響の名前がある。
これは、堀内是空のこと。
堀内是空とは、1858年(安政5)生まれ 、1942(昭和17)没。浜松普大寺の門弟。明治10年頃に上京し2代目荒木古童に師事。普化尺八の継承に尽力したという人。(堀内是空については、虚無僧研究会機関誌『一音成仏 第41号』に、岡部如槇氏による綿密な考証あり。)
堀内是空は同じ幕臣の出である柳居青翁の元にも通ったとも考えられると、小菅氏が推察されています。
それにしても、この漢字に埋め尽くされた「尺八碑銘」を目の前に、一体なんの事やらといった状態であったのが、小菅氏が綿密に調べて『一音成仏』に公開してくださったこと、中国の知人の方の翻訳、そしてこの碑の存在を教えて下さった尺八研究家の神田可遊氏のおかげで、ここまで内容を知る事ができました。
この頃の尺八奏者の教養の深さをしみじみ感じます。
それをまた、石に彫るのが凄い。
彫るのも大変だし、運ぶのも大変。
松見寺の神谷転も、大きな石に感謝の気持ちを彫っていますね。
石に彫ってまで後世に残したいこと、あるでしょうか...。
漢字も数字も苦手で感覚のみで生きている私にはまず、後世に残せるような「教養」が無い...汗
もうちょっと頑張らないと笑