町田の虚無僧寺の南松寺『観音堂』ご開帳参り🙏
4月17日は、南大谷天神社境内にある『観音堂』の年に一度の御開帳の日。
かつての虚無僧寺南松寺の本尊の観音菩薩像が安置されている。
この観音像は、昭和37年(1962年)の天神社改築の際、社殿の中から発見されたそうな。廃寺の時、虚無僧(恐らく西向寺の謙譲であろう)が、廃仏の危機を逃れる為に隠したのであろうとのこと。およそ90年もの間、観音さまは社殿の中に隠されていた。
観音像の底には、「寛文四甲辰五年一日」の日付があり、1664年とは二世の南印分舎の代に造られたものなので、普化宗本尊の中で最も古いものではないかとのこと。なお、この仏像は部落の人によって修理されているそうです。(富森虚山、原虚伯調査記録より。『郷土町田町の歴史』にも記載
南大谷天神社については前回訪れた際のnoteにあります↓
前回の『探墓行』で、4月17日に御開帳があると知り、
是非来なければ!
と心に決めておりましたが、念願が叶いました。
なんとも言えない、優しい空気が辺りに漂っています。
観音パワー凄い。
廃仏の危機をよくぞ乗り越えてくださいました。
感慨深い…。
私が着いた時は、ちょうど近隣の方々が観音堂の前に集まっていた時でした。
皆さん朝の8時半から、集まり南大谷天神社境内、観音堂周りの掃除をして、蝋燭を灯し、お花やお供物をして、御開帳をされていました。
私が現れると、一人の男性が、「今日は年に一度の御開帳ですよ」と、親切に教えてくれ、「はい!お参りに来ました!」なんて答えたので、ちょっとびっくりされたかも知れません。
神社のどこにもそれは書いていないようですね。
恥ずかしながら皆さんの前で「調子」を献奏させて頂きました🙏
近隣の方々は、最後に虚無僧のお墓にお一人お一人お線香供えて下さった。
これも感動。
そして、10時頃にはもう蝋燭を消し、扉を閉めて解散。
コロナ前には、ご住職に経をあげてもらっていたそうですが、今は役員がこうして集まっているとの事。神社の氏子さんとかではなく、自治会の方々なのでしょうか。来年はもっとお話を伺いたいなと思いました。
私も昔、岐阜で一人暮らしの頃、自治会に入っており、数ヶ月に一回、お寺の中のお稲荷さんの清掃の日がありました。お供えするお花やお菓子は自治会費から捻出するというやり方は同じだと思うので、本当にこうして毎年、観音堂の掃除をして、虚無僧供養をしてくださっている近隣の皆さんには感謝です。
そして、早めに行った方が良いというアドバイスを下さった神田可遊氏にも感謝です。
どなたか、尺八関係の方が来ていらっしゃるかなと思っていましたが、私が現れたのに驚いていたくらいなので、最近は近隣の神社関係の方以外は御開帳には来ていないようです。
立派な虚無僧碑が立っており、名前もずらりと刻まれておりますが…。
お近くの尺八吹きの方は是非是非、観音参りと虚無僧供養に参りましょう♪
ちょっと気になったのが、「虚無僧之碑」裏面に、本尊『観世音菩薩木造立像』となっていますが、坐像ではないのかな…。別物?なわけないよね。
そして、
その後のどうでもいい話ですが、
この南大谷天神社は町田駅から歩いて2〜30分くらい。神社の爽やかな空気を存分に吸ったところで、良い天気だったので歩いて帰ろうとてくてく駅に向かいました。…と、すぐに、何となく気分が悪くなって来た。
みぞおち辺りが気持ち悪いというか、息が苦しいというか…。
喘息でもあり常にお腹の調子は悪い体質なので、体調不良はよくあることですが、この感覚は滅多にない感じ。
ヤバい、歩いて駅まで行けるかな…。
一抹の不安。
公園のベンチとか、喫茶店とかは無い。バスに乗るのも中途半端で、それもしんどい。
何とか休みながらゆっくり歩いて駅までたどり着きましたが、とにかく目を瞑って横になるか座りたい。
これは喫茶店とかよりも電車に乗った方がいいな…と電車に乗り座ることが出来て目を瞑る。
15分ほどウツラウツラとし登戸あたりについた頃には、治まっていた。
そして、家につく頃には何かが抜け出たように、スッキリ。
一体何だったんだ?
神社で何か持ってきた?笑
ホントにそんな感じ。
虚無僧の幽霊に取り憑かれたならいいけど。尺八が恐ろしく上手になってたりして。
…と、こんなこと書いたら誰も一緒に来てくれないかも知れないけど笑
来年は是非一緒にお参りしましょう♪