これは神如道が言ったことば。
直弟子である小出虚風師の「神如道師の思い出話」より私は知ることになった。
「竹吹きは物言いたければ竹で言え」
魅され慕われ自然に人が寄る、とのこと。
私も「言いたいことは竹で言いたい」ところは山々でありますが、言語を使ってお伝えしなくては全くの意味不明になってしまうので、あえて、ことばで名士のことばをお伝えしたいと思います。
見出し画像の写真は、小梨錦水(右)と浦本浙潮(左)。稲垣衣白著「尺八本曲と古管尺八を愛好された浦本浙潮先生」より。
この格言的なフレーズは、虚無僧尺八を、やっている人なら一度は師匠や先輩などから聞いたことがあるのでは無いでしょうか。
一体誰が言い出したのでしょうか。
似たようなフレーズに、
これらは、藤川流光師から言われたことば。竹内史光師も門下の集まりで、「間違えてもいいから暗譜で吹きなさい」とおっしゃっておりました。
竹内史光師は、この頃80歳を過ぎてあまり演奏されなくなった頃。門下の前での一言にこのことだけを言われました。
こちらも藤川師からのことば。
これはブルース・リーの「考えるな!感じろ」に通ずるものでしょうか。
・・・ちょっと違うか…。
「無韻の韻を聴く」
先程の「無い音」によく似ていますが、これは一呼吸の中に人格が表れる、ということのようです。
小梨錦水からは、ただこれを繰り返し繰り返し言われるだけで、他に尺八らしい講釈は一言も話さなかったそうな。
「フウワリ」ですか…。これもかなりの難題です。
自分ではなく、竹を楽しませる境地。
いやはや、どっちもその辺に転がってはいない。
まずは人間づくりと言う事です。
自分じゃなくて、尺八が何者であるかを考える。
もはや禅問答になってきた。
ワタクシわりと、毎日同じ食べ物でよいタイプですので、尺八にもそれが出ていないかちょっと心配です。
先ほどの神如道の言葉を短く言うとこうなりますね。
「吐く息を静かに観ずる」=「気息静観」
「観ずる」とは、心を静めてありのままを正しくながめる。心静かに瞑想して悟ること。
精進精進。
もはや谷狂竹そのものが格言的。
谷狂竹が登場したので、西村虚空師のご子息、虚流さんに聞いた腹式呼吸のアドバイス。
なるほど、もう一息、あと一息が大事なんですね。
さらには教養が必要と。
聞声悟道とは、
「聞声悟道、見色明心(けんしきみょうしん)」という雲門和尚の言葉の一節。
声を聞いて道を悟り、色を見て心を明らかにするという意味。
「本曲は本人曲」という言葉が一人歩きしているような気がしますが、本人が完成されてからのことで、とにかく吹いて吹いて吹きまくるしかないのですね。
もう、自分が曲そのものなる。とのこと!
まさに、今の状況でしょうか。
はい。汗
さらには、
はい。汗
格言集、如何でしたでしょうか。
さりとていくら格言を読んで悟ったとしても尺八は、瞬時に上手くはならない。
ということで結局は、
鍛錬、鍛錬!
ですね。
あとは自ずと竹が教えてくれます。
(片羽の格言)
なんてね笑