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普化宗谷派関東道場☆第四十六回吹禅会@府中
二年ぶりに、谷派の吹禅会が開催されました。
今年は、長野に在住の新津虚白師と、野入虚彗師も加わり、奏者8名、見学者2名となりました。
前回、前々回と長野からも近いということで清里の施設にての吹禅会でしたが、今年は東京での開催。
これも、高齢化の高波がやってきまして、遠方の運転は危険ということに。汗
私が運転して皆さんをお連れできれば良いのですが、岐阜在住の頃、物損事故多過ぎて自転車に変えたという経歴の持ち主なので、皆さんの命を預かる自信はありません...笑
場所は、府中のヨロシク亭と呼ばれている、山下虚憧氏個人宅。
玄関には狂竹亭の看板。
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普段はこちらのお部屋に集っております。
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実は今回私は全くの練習不足で、そういう姿勢で参加してもいいのか本気で悩みましたが、なかなかお会い出来ない方々がいらっしゃるし…、
ということで、一夜漬けならぬ一ヶ月漬けで(全然モノになってはいませんが)、何とか参加に、漕ぎ着けたといった状況でした。
開会の挨拶。
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司会は左側ヨロシクさんこと山下虚憧氏。
左は幹事の吉田虚勇氏。
第一部、第二部とつつがなく進みました。
松本から来てくださった野入虚彗師。
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西村虚空師が60歳の時に弟子入されたそうです。
全員で聞き惚れている状況。
野入虚彗師は海外でも有名で、お弟子さんが多数いらっしゃいます。
そしてこちら、演奏しているのは関東道場の一番の年長者、新津虚白師。
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虚白師の名前を襲名されています。
以前は、長野から府中まで教えに来てくれていていました。
とても優しく温厚な方で10年前から全く変わらない印象。
前回のnoteにも載せましたが谷派の系列はこちら。
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新津虚白師はこのメモに残る唯一の方。
浦本浙潮は「虚空」以外は、宮川如山に全曲習ったということで、谷派も對山派です。
西村虚空師が新しく「普化宗谷派虚鐸」という新しい派をつくった。
因みに谷派で、尺八の事を虚鐸とよんでいるのは、以前も「虚鐸伝記」に書きましたが、西村虚空師が、1954年に在東京の『文化人の集い』(棟方志功、三角寛、小山勝清、小山寛二、赤坂小梅等など)に招かれ、有楽町の日本クラブで『西村虚空の竹を聞く夕べ』にて、阿字観を吹いた時に、彼らに、尺八とは似ても似つかぬ、長さも長い、音も違う、竹の縦笛本来のものというような名称をつけろと言われ、『虚鐸伝記』の話をしたら、その虚鐸こそふさわしい名前だということになり、西村虚空師のつくった尺八は虚鐸と名づけることになったとのこと。
こちらは「虚鐸伝記」についての深堀り。
この頃に、何故「虚鐸」という名にこだわったのかは不明。
樋口對山の弟子、小林紫山が「虚鐸」という曲を「鳳鐸」に変えたのは、ややこしいからだろうか。
松本虚山師が10年程前に亡くなり現在、師匠不在であります。
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こちらは、1986年にビクターから出された、谷派のアルバムより。
関東道場、武蔵野道場、相模道場と3か所も道場があったのだ。
谷派はこの頃、高橋虚白師をリーダーにレコードやカセットなどアルバムを出されている。
その反面、虚白師は地道に北海道から九州まで虚無僧行脚もされている。
「自分の吹料は自分で竹材を探して掘り、油を抜き乾燥し、作り調律する。一管の出来上がる迄は、可成りの日時が必要であるが、自分で作った物には愛着も伴い、よく分る様な気がする、君も作る事を覚えなさい。」
と、西村虚空師に高橋虚白師は言われ、手ほどきを受けたそうだ。西村師は地無し延べ竹の製作法は東京の大久保交童から学んだとのこと。
自分で竹材を探して造る様になり、そのむずかしさも歓びも知ることができた。
人の造ったものを、ああでもない、こうでもないとブツブツ云い乍ら尺八を選んでいる尺八吹きを見ると腹が立ったものであるが、現在は悟った?ので、そんな光景を見ると気の毒になってくる。
虚白師の作った尺八に息を入れさせてもらったが、二尺七寸管、なにせ指が届かない…。
しかしながら、感動的でありました。
穴を押さえるのに隣にいた野入師が手伝ってくれ、開放音からレまでは何とか出ました汗
谷狂竹先生は中国の広東に禅寺を訪ねた折、その住職に「虚空」を名乗れと云われたそうであるが、自分が狂竹を名乗り、「虚空」は西村先生に名乗らせたそうである。
西村虚空師が「虚空」と、名乗っている由縁ですね。
「良き種となれ」と云い「煙草を吸うヒマがあったら尺八を吹け」と云ったそうである。
「一吹一切の悪を断じ、二吹一切の善を修し、三吹諸衆生を渡す」と書いた札を縁ある人々に配った。
神、仏、人の心にへだて無く 誠一つに鳴らす尺八
と偈箱に書いたのは晩年である。
竹友と同道である人を訪ねる途中、終戦当時は物資が無く大変な時代であった。道端に子どもが生でかじったのか、歯の跡のある大きなさつまいもが転がっていたのを見つけ谷先生はたもとに入れた。そして訪ねた家の座敷で、火鉢の側に寄ったかと思うとあのいもを取り出して火鉢の中に埋めた。しばらくして、そのいもを取り出し、その家の子を呼んで、それを与えた。子どもは大喜びだったという。有り余る程物資の多い現在では一寸想像し難いが、同道した竹友は感動したとの事。
谷先生のエピソードは沢山聞くことが出来たが、直接会ったことのない私はそれを聞いて谷先生を偲び「阿字観」の肥料としたのである。
虚無僧研究会機関誌『一音成仏』
確かに、大切な人のことを偲ぶ、思いを馳せる、それは曲の「肥料」となる気がする。
高橋虚白師の随筆はとても面白い。
虚白師も戦争に参加させられた一人。
編集後記には、「高橋氏の実体験としての虚無僧行脚はその真摯で純粋な道心に読者は心をうつであろう」とある。
西村虚空師と、高橋虚白師。
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谷派の吹禅会も第四十六回目。
先人たちを慕う気持ちが、この会に溢れていた。
さて、
現在の谷派、写真を見れば分る通り、後何年続くのやら心配されている方もいらっしゃるでしょう。
ところが、今回「撮影係」として若い男子(忍者)が写っておりますが、山下氏のお孫さんであり、おじいちゃんの尺八には興味があるとのこと。
吹き継いでいってくれることを願うばかり。
先日の谷派、吹禅会のご報告でした。
参考資料
高橋虚白著「阿字観を求めて 虚無の旅」虚無僧研究会機関誌『一音成仏』
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