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文学と尺八📖『吉野拾遺』

尺八の音色で魚が躍り出てくる?!🐟🐟🐟


吉野拾遺よしのしゅうい』とは、

南朝(吉野朝廷)関係の説話を収録した室町時代の説話集のこと。


南朝関係説話を集めた中世後期の説話集。跋(ばつ)文には「正平(しょうへい)つちのえいぬのとし」(1358)、「松翁」なる者が著した旨を記す。この松翁については、侍従忠房(ただふさ)説、吉田兼好の弟子命松丸(めいしょうまる)説など諸説があるが、いずれも確証はない。この跋文自体を虚構とみる説も有力である。作者はただ、南朝びいきの教養ある隠士で、兼好の影響下にある人物とのみ推定される。成立年も確定できないが、室町時代の説話集『塵塚(ちりづか)物語』との関係から、1552年(天文21)以前であることは確かである。諸本には、35話を収める二巻本のほか後人がこれに29話を増補して成立したと考えられる三巻本、および四巻本(内容は三巻本に同じ)がある。内容は、巻頭に後醍醐(ごだいご)帝関係の和歌説話を配し、以下、神仏霊験説話、遁世(とんせい)説話、怪異説話、武勇説話、悲恋説話、誹諧(はいかい)説話など多岐にわたる。これらには『太平記』『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』『徒然草』などをふまえつつ、『撰集抄(せんじゅうしょう)』などにみられるのと同様な、創作説話的方法で形成されたとみられるものがあり、注目される。
[木下資一]
『『説話文学必携』(1976・東京美術)』

日本大百科全書(ニッポニカ)



『芳野拾遺物語 巻第三』 国史研究会 編 
国立国会図書館所蔵


巻第三

二十 つくしの御子尺八を好ませ給ふ事

つくしの宮の、御年もゆかせ給はざる御時、尺八をめし、天性妙を得させ給ふ。芳野川御幸に吹かせ給ふにぞ、見慣れぬ鱗、数知れず水より踊り上り、上にも、めづらかに興ぜさせ給へば、類なき御事とぞ。昔も妙音院殿、熱田の御社にて、琵琶を弾かせ給ふに、鱗、陸へ踊り上り侍ると申伝へし。正しく都の御たぐひなりてと、感じ奉りけり。尺八は、本は尺八と、楽書に書き侍る。古、聖徳太子、生駒山にて尺八を吹かせ給ふに、百獣走り出でて、頭を傾け聞きけるとかや。


懐良親王は若い頃、尺八が上手であった。芳野川への外出時に吹いたところ、見慣れぬ魚がたくさん水から躍り出て、それは珍しく類いなき事だった。昔、妙音院殿が、熱田神宮で琵琶を弾いた時に、魚が陸に躍り出たと言い伝えがある。確かに同じような事だと感じます。尺八は以前から楽書に尺八と書いてある。昔、聖徳太子が生駒山にて尺八を吹いたら、百獣が走り出てきて頭を傾け聞いたとかいうことだ。


『吉野拾遺 4巻』 1891年 
国立国会図書館所蔵
『吉野拾遺 4巻』 1891年 
国立国会図書館所蔵


つくしの宮とは懐良かねなが親王のことで、彼の尺八愛好のことが書かれている。

懐良親王(生年不詳、1383年没)とは、後醍醐天皇の皇子で、鎮西宮・阿蘇宮または征西将軍とも称せられた。


最後の部分、聖徳太子の尺八の音を聞いて出てきたのは、山の神が一般的な説ですが、ここでは百獣。

聖徳太子のまわりで動物達が走り出てきて聞いてるなんて、絵になりますねぇ🐵🐶🐱🦌🐮🐷🐭🐰🐥



↓こちらは聖徳太子について。


「十四世紀後半から十五世紀前半にかけて尺八についての事跡をのこしている人物としては、楽家の豊原量秋、賀茂緒平をはじめとした賀茂社の人々、田楽の増阿弥、猿楽能(小謡)の世阿弥などがおり、こうしたことから考えるとほぼ十四世紀の半ば頃には、尺八(中世尺八)は再び宮廷貴族社会にもその場を得てきていることを認めてもよいのではないかと思う。」

井出幸夫著
『中世尺八追考 伝後醍醐天皇御賜の尺八を中心に』高知大学学術情報リポジトリ


律令国家の衰退で、雅楽の尺八は消えてしまったのですが、貴族達は再び、中世の尺八、即ち一節切尺八を演奏するようになるとのこと。


それにしても、


尺八の音色で魚が水の中から躍り出てくるって面白い…🐟🐟🐟(ホントかいな?!)


今度やってみよう😁

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