明暗對山派『龍吟虚空』について
『龍吟虚空』は、明暗流では『鳳叫虚空』と相並んで、本手の曲中では最も格調高い曲相を備えている、といわれている。(富森虚山著「明暗尺八通解」より)
見出し画像の楽譜(部分)は『對山譜拾遺 明暗三十七世谷北無竹集』谷北無竹師筆のもの。
こちらが表紙↓
「棚橋栗堂師の用いかけた本に無竹師が書きついだもので、自分の證本とすべく書いた本と推定せられる」
(棚瀬栗堂師の書き間違いかと思われます。)
谷北無竹師は自分用にとのことで、あちこちにメモがあります。
私は谷北無竹系ということで、この色々書かれたメモを少々読み解いていきたいと思います。
曲名「龍吟」の上にある、変宮、変徴とは、
要は、レとロは半音低いことを意味する。
「龍吟」の下に書かれている赤で囲った「六呂」というのは、音楽の十二律の中で、陰に属する六つの音のこと。
十二律については、
六呂とは、
十二律は陰陽に分けられ、奇数の各律は陽律であり、律と呼ばれ、六律と総称される。偶数の各律は陰律であり、呂と呼ばれ、六呂と総称される。
「對山師は古代中国の六律 六呂の楽理に着想を得て『鳳叫』『竜吟』を企図した様である」と、明暗導主の森下月泉師にご教示頂きました。
曲名「龍吟」の下の水色に囲った部分
吟龍虚空と呼ばれているものは、琴古手帳には一月寺の門弟の吟龍子より伝来とのこと。吟龍子は九州鈴慕を切望したので交換で初代琴古に伝授したとある。
こちらは琴古手帳に書かれていたことが写されています。
琴古手帳によると、
高橋空山著『普化宗史』にも、この頃に吟竜という尺八に巧みの者がいたという記載がある。
明暗流への伝承経路では、樋口対山が東京に出て荒木古童に入門し、その後、川瀬順輔の紹介で滝川中和にも就いた。その時に『吟龍虚空』は琴古流より伝承されたとされている。
琴古流の『吟竜虚空』については全くの勉強不足でして、楽譜も見たことがなく、『龍吟虚空』と比較の仕様も無いのですが、琴古流の方々の『吟竜虚空』の演奏を聞いてみると明暗流とはずいぶん違う印象です。樋口對山に伝わった段階でかなり変わったようです。
『吟竜虚空』と『龍吟虚空』の研究だけでも一冊の本が出来そうですね、大変そうなのでやりませんけど笑。
話は、谷北無竹師の楽譜に戻り、
黄色線の部分は「ツ音はウカス即ち軽くカルコト」とあり、最初のツの左横に小さく「ウ」(紫の丸の部分)とある
富森虚山師の「ウカシ吹き」の解説によると、
ウカシ奏法については、戸谷泥古師の『虚無僧尺八指南』では、小林紫山、一朝軒でも、「本手調子」において甲音でもウキを使っていると指摘がある。
と、ある。
言葉で理解しようとすると非常に難しい…。
小林紫山師やその他の伝承では「ウカシ吹き」は様々ですが、谷北無竹師の伝承は、富森虚山師の言う2番目の「カリの情態でウカシて出る場合」のウカシ吹きなので、ややシンプル。この譜に書いてある通り「軽くカル」ことでしょう。
そして譜の最後に、龍についての説明書きがある。
竹内史光師は『龍吟虚空』をこのように解説している。
龍の説明が殆どで、最後に「この曲には鳴龍の手が取り入れられて」とある「鳴龍」の説明は後ほど。
こちらは富森虚山師の解説
「ツが浮かし吹きになると、ツ本来の音階より少し高めに張りあがり、十二律の下無調にあたる。この別名が龍吟調であり、冠称龍吟の出処でもある。」
この説については、
南北朝時代(13〜14世紀)の百科便覧『|拾芥抄(しょうがいしょう) 』に、
とあるようですが、
下無調の音は、「レのメリ」(明暗)「レの中メリ」(琴古)で、ツの張り上げた音と同じになるのは中々難しいとは思いますので、これは後からのこじつけではないかと個人的には推察します。
順番にまとめますと、
1700年代中頃に一月寺の役僧、吟竜が「吟竜虚空」という曲を残し、それが代々琴古流に受け継がれ、樋口對山に伝わり「龍吟虚空」となった。
それが明暗流において、十二律の陰陽に基づき、鳳叫虚空を陽性、龍吟虚空は陰性と対とし、大事な曲とされてきた。
と簡単にいうと、こういう事でしょうか。
竹内史光伝「龍吟虚空」の特徴
谷北無竹師から竹内史光師が伝承されたものには、史光師の解説にもあるように、口伝による「鳴龍の手」というものがあります。
1982年の竹友社道場での講座での史光師の解説によると、谷北無竹師は前半は深山幽谷にいる龍が静かに鳴くようなイメージで、ゆっくりと三打すると伝承された。その後は普通の三打と説明されたとのこと。
この時に、史光師はお寺の天井に描かれている「鳴き竜」を連想されて、「京都かどこかのお寺の天井に龍が描かれていてそこで手を叩くと...」という話をされましたが、この『龍吟虚空』には「鳴き竜」のような「ピチピチ・ブルブル」のような特殊な音は含まれない。
お寺の鳴き竜とは、
天井に住みついたハトを追い出そうとして、明治時代にたまたま発見されたことなのですね。
無竹師が言う「龍が静かに鳴くようなイメージで、ゆっくりと三打する」を史光師が「鳴龍の手」と命名したのでは、と推察します。
その他
特徴的なのは、「メリ止め」が各所に出てくるが、深くメらずに、軽くメること。史光師は「音には出ないメリ」と言われている。
あとは、「スリ手」が中頃に一ヶ所取り入れられている。これに関しては「ヒイ」のイにスリと書かれているのみで、五孔のスリ上げで良いと思われる。
「鳴き龍の手」
「音には出ないメリ」
「スリ手」
この三つが、谷北無竹から竹内史光伝承の特徴のようです。
曲について、個人的に気がついたことは、琴古流からの伝承であるためか「鉢返し」「鳳鐸(虚鐸)」にある手がよく使われているように思われます。
リウーウメ ツレーレー ロ(大メ)ローーー(鉢返し)
ツ(メ)ーメレ ホロホロホロ・・・・ハ(鳳鐸)
古典本曲に関してはここが似ていると言い出したらキリが無いのですが...。
ですが、このように同じ手法があるにも関わらず、古典本曲というのはそれぞれ全く違う雰囲気を持っているのが不思議です。
さらに、
1982年、竹内史光師は、竹友社道場での「龍吟虚空」の講座において、明暗流と琴古流との違いについて前置きされた。
と、岐阜弁をまじえて話されていた。
史光師も、普化尺八と楽器尺八の演奏方法や尺八そのものの吹き分けをしなさいと釘をさしている。
「全体として柔らかく、その奏者の思想、感情、精神力が充実した音である。」とあるのは、まさに思想、感情、精神力しかないほどに強調される気が致します…。
余談ですがこの講座では、岐阜出身の私でも聞き直さないと分かりにくい史光師の訛りがあり、はたして東京の人達は理解で来たのだろうかと、今さらながら心配するほどに、史光師はコッテリの岐阜弁でありました。
それにしても、曲の解説では龍の解説が多め、というのからも分かるように、龍の存在感が大きい。お寺も神社も龍はだいたいどこかにいますし、全国各地に川や滝などには龍伝説はあります。十二支にも居ますしね。(あれはタツノオトシゴなのかな)
今でも、そこかしこに龍に関する色んなものがあります。龍って身近です。本物見たことないのに。
いかにも本当に存在してたみたいですが本当にいたんですかねぇ、
って、今でも龍はその辺を飛んでるみたいですよ。
我々が見えなくなってるだけなんですって。
龍とお話しているっていう現代に生きている人の本を以前読みましたが、その龍は名古屋弁を話すそうです。
会ってみたいがね〜、龍に。笑
と、言うことで、
『龍吟虚空』の演奏がさらに奥深いものになるよう精進ですね。
最近、以上の解説を元に、『龍吟虚空』を、再録音しました↓
何故か逆転(ミラー)で撮ってしまっております。
「龍吟虚空」は、心静かに尺八を吹きたい時、オススメです🐉
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇