初代黒沢琴古は一体どんな人から尺八を教わったのか?
黒沢琴古シリーズ☆其の五
琴古手帳「尺八曲目」の細かいところを読み解く!
琴古手帳とは、大正八年四月、河本逸童が主催で尺八展覧会を開催した時、河本氏が黒澤家の仏壇の中から発見したといわれる文献。
題名無しの、縦二寸(6センチ)横五寸(15センチ)程の横綴の小手帳である。現在その原本の所在は不明。
二代目琴古によって書かれたとされている。
今回は「當流尺八曲目」について読み解いてみたい。
毎度「読み解いてみたい」などとエラそうに書いていますが「知りたい」が正しいです。
塚本虚堂編『琴古手帳(前)虚霊山明暗寺文献(前)』などで、全文はそちらを参照いただくとして、こちらでは、琴古の習った人や状況など(妄想も含めて)読み解きます。単語の意味はいつもの如く尺八研究家の神田可遊師に教えていただきました。
〈本則を持っている人から習う〉
〈訳〉
「瀧落」は一月寺の本則を持っている小嶋丈助・本則名残水より、初代琴古に伝えられる。その頃残水は、筋違御門外に住み吹合所にて本則を出していた。
筋違御門は今の秋葉原駅の辺り。
「〇〇寺御本則」というのは、虚無僧寺から発行された本則を持っているということ。「御本則」は市井の人。庶民なので名前は呼び捨て。
琴古が「御本則」から習った曲は合計六曲。
轉菅垣は西向寺の本則を持っている野田意悦・則名虎道より。
九州鈴慕は一月寺の本則を持っている福田傳次・則名義好より。
打替虚鈴は清山寺の本則を持っている川原丹蔵より。
鈴慕流は一月寺の本則を持っている橋本半蔵・則名左文より。
靏巢籠は宇治きうこあんで龍安が習ってきて、本則を持っている小嶋丈助・則名残水より習う。
西向寺、清山寺とも一月寺の末寺なので、吹合所の情報があったのではと想像する。
鈴慕流に関しては、葦草鈴慕と交換ということで、一月寺の本則を持っている橋本半蔵が鈴法寺系の曲を所望したとのこと。
この辺り、交換に値するのかどうかどうやって見極めたのか知りたいところです。虚無僧寺の認証付きであるから信頼したのでしょうか。
実はワタクシ、初対面の方に曲の交換を提案されて、ビックリして断ってしまった事があります。最初は私が吹いている〇〇を習いたいという話から、その方が〇〇という曲を知っているから交換しようというご提案。どうしたら良いのか分からずお断りしたらその方は自分は信頼出来る立場の者だしこの曲は誰々から習ったものだし昔から曲の交換はあったとメールで苦言を頂きました。だって突然知らない人からこの曲はこのような曲で知っておくべきですなんて言われても〜💦と、この場をお借りして言い訳します。
さて、琴古の場合、突然やって来た虚無僧が、そなたの〇〇という曲を所望したい。代わりにワシの知っている〇〇と交換ってのは如何かな、なんて言われたりしたのでしょうか。ある程度、周りの人から名前を聞いていたり何処かで会っていたりしたと思うのですが、どうなんでしょうね。
交換については次の吟龍虚空を例にみてみたい。
〈虚無僧と曲を交換する〉
〈訳〉
「吟龍虚空」は一月寺の御門弟の吟龍子より初代琴古に伝えられる。吟龍子は、九州鈴慕を習いたい(御懇望)ということで、琴古よりそれを習い、琴古は吟龍虚空を伝承する。
「御門弟」は虚無僧。名前に「子」が付く。「子」というのは男子の美称、尊称。虚無僧なので尊称の「子」がつく。それに対して先ほどの本則は呼び捨て。
この曲は一月寺の本則を持っている人同士の交換。
吟龍は一応虚無僧であるのだけれど、虚無僧の肩書きが無い本則を持っている人から習うということもあった事が分かる。
その他、下野虚霊、目黒獅子も、虚無僧が琴古のところに来て曲を交換している。
先程、どうやって交換したのか想像してみましたが、「尺八指南」の看板のある長屋に、あの出立ちの虚無僧、天蓋を被った人たちが来ていたのか、と想像するだけでも楽しい。
御本則という立場の人も、一応虚無僧ができるということなので、出立ちは虚無僧スタイルで来たのだろうか。そういえば、琴古だって出かける時は虚無僧だったかも知れない。
先に手紙か何かで約束をしてから来たのか、はたまた突然やってきたのか。誰かの稽古の最中だってこともある。
琴古が尺八を作っている最中だったかも知れない。
玄関に「竹掘りの為留守します」とか貼り紙があったかも知れない。
キリが無いのでこの辺に…。
〈一月寺と鈴法寺の住職立合いで曲名を変える〉
〈訳〉
琴三虚霊はもとは三味線虚霊というが、嘯山勇虎、仰雲泰巌の両師が立ち会い、初代琴古に相談の上、名前を変えた。これら四曲は宇治吸江庵の龍安より伝来。
「尊師」は住職のことを指す。鈴法寺住職の嘯山勇虎(1769歿)、一月寺住職の仰雲泰巌(1750歿)のこと。
琴三虚霊はもとは三味線虚霊というが、この両師が立ち会って、名前を変えたとのこと。名前からして、普化尺八らしからぬ曲名ですが、どんな曲だったのか興味深い。
京都から伝わった曲は、先ほどの靏巢籠と合わせて四曲。
〈教えてもらった人について行って教えてもらう〉
〈訳〉
大森宗古、大森宗郡へ、残水に同道して両人から伝来。
初代琴古が、御本則の残水(瀧落を教えてもらった人)に一緒について行って、大森宗古、大森宗郡の両人から教えてもらった曲。わざわざ「同道」とあるので、大阪方面まで行ったのかもしれない。
一節切の大森宗勲と関係がありそうだが、どういう人物か不明とのこと(神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』)
やっぱり、どこかで聞いて訪ねて行ったに違いないですが、それにしても一曲だけ習いに大阪まで?!それもすごいです。相当貴重な曲です。きっと暫く逗留したのでしょうか。
最後に、年代と琴古の年齢が記されている曲。
〈長崎の一計から習った曲は古伝三曲とその他七曲〉
〈訳〉
霧海篪鈴慕、虚空、眞虚霊 前吹盤渉の古伝本手三曲、は享保十三年(1728年)、長崎正壽軒にて一計子より伝来。琴古十九歳の時である。
その他、前吹 本調子 調、前吹 曙調、前吹 雲井 調、の三曲と、佐山菅垣、三谷菅垣、波間鈴慕、呼返鹿遠音。合計10曲を九州から江戸に持ち込んだ。
長崎正壽軒についてはこちらをどうぞ↓
表の十八曲と前吹の三調子の調、三曲に関しては、
〈訳〉
表の十八曲と調は嘯山勇虎と、仰雲泰巌両師立合いの上、手続き、曲名、文字、手順を乱さず大切に伝授のこと
さて、この「大切に伝授のこと」の家訓は今でも続いているのでしょうか?
実は、私は琴古流の本曲をちゃんと聞いた事が無いのです。
1700年代から一つの流派で吹き継がれているなんてすごい。
琴古流「表18曲裏17曲」フルコンサート!
琴古流が集結してやってくれないかなぁ…。
相当長くなるかなぁ…。
黒沢琴古シリーズ其の五までやりましたが、その後も琴古流は脈々と続いていくわけですが、黒沢琴古については一旦終わりたいと思います。
それにしても『琴古手帳』は世紀の大発見ですね。これだけ色々妄想できるほどに沢山の情報盛りだくさんです。
初代琴古物語、映画にしたら絶対面白くなりそうです。
ストーリーも、九州から江戸に出てくるあたり、父母との喧嘩別れか?! それとも長崎の一計と何か固い約束でもしたか?! 「必ずやこの曲を日本中に広めてみせます!」とか?! そして江戸で指南所を始めたこと、まずは指南所探しから始まる。噂で聞く変な御本則達との出会い、初めて尺八が売れたエピソードとか、京都大阪に旅に行く話、とんでもないカリスマ虚無僧がいるとか、お殿様が変装して習いに来るとか、隠れて吉原に教えに行ってるとか(盛り過ぎか)、
あとは主演を誰が…、
…と、ますます広がる空想は良いとして、
黒沢琴古のことを調べるにあたり、江戸時代の尺八指南所界隈の様子なども垣間みれて、本則の内容などようやく理解出来るようになりました。
色々教えてくださった尺八研究家の神田可遊師はじめ、先人の皆さまにも感謝🙏
そして琴古流の皆さまどうか、
「表18曲裏17曲」フルコンサート!
お願いします!🙏