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普化禅師の位牌がある千葉県の虚無僧寺☆清岸寺『探墓行』
高橋空山によると、現存する不動尊清岸寺のお堂内に、普化禅師の位牌があるという。
今残っている天保十年に建てた不動堂に、普化の白木の位牌・額・賽銭箱がある。不動尊は、文雅の時に作ったと、記されている。
不動山清岸寺
所在地
上総山辺郡土気庄南玉(山武郡山辺南玉489)
現住所
千葉県大網白里市南玉488
本寺
金先派一月寺
本尊
不動尊
歴代
文雅 (天保年間 1831−45年)
浄光顕遂 (安政ー慶応 1854−1868年)
今のところ情報はこれだけ。
小さなお不動様でも年末の終いの不動にはもしかしたら、ご開帳して護摩炊きをしているかもしれないと考えた。
念の為、電話で確認したほうが良いという尺八研究家の神田可遊師にアドバイスを頂いて、とりあえず千葉市に電話してみたところ、不動尊清岸寺は大網白里市ということで、こちらの観光協会的な所の電話番号を頂き、今度は生涯学習課の地区の寺社に詳しいという方の電話番号を頂き、結局は今は護摩炊きはしていないとのご回答。
はぁ、そうですか、それは残念…。
と行かないのも詰まらないので行ってみることにする。
ただ、虚無僧がそこに居た。という理由で行きたいものなのだ。
岡田冨士雄『虚無僧の謎 吹禅の心』によると、清岸寺跡はまた別の場所にある。
清岸寺のすぐ西側の山が土気城であったということから、まずは土気城から攻めてみる。
そしてこの山は、千葉市と大網白里市との境界線で、昔から上総と下総の境界線界隈でもあったとのこと。
境界線に生きるコムジョとしてはますます興味深い。
まずは土気駅から。
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北口の大網街道を東に行きます。
因に南口はこちら。
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バブルの頃分譲された、チバリーヒルズ(ワンハンドレッドヒルズ)はこの南側にあります。
駅の北と南ではずいぶん雰囲気がちがう...。
小川春夫著『虚無僧寺院(普化禅宗寺)考 資料編』によると、菩提寺は「古文書から推定」で善勝寺とのこと。
善勝寺は土気城跡のすぐ近くにある。
善勝寺と不動尊は、地図で見てみると目と鼻の先。
しかしながら道は繋がっておらず、かなり遠回りをして行かねばならない。
こちらは大網白里市史跡案内図↓
寶珠山善勝寺
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この辺りに日蓮宗、法華寺が多いのは、上総七里法華(かずさしちりほっけ)といい、土気城主酒井定隆が、什門派(日蓮宗妙満寺派)の日泰上人に帰依し、領内七里四方にわたって日蓮宗に改宗させた一種の宗教改革のせいであるそうな。
千葉市/千葉市地域情報デジタルアーカイブ第六項 日泰と七里法華
ここで、謎なのが、果たして日蓮宗の寺が禅宗の虚無僧寺の菩提寺になったのかどうか。
この問題は後で考えるとして、まずは土気城趾へ。
貴船城大明神
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貴船城とは、
神亀年間(724年-729年)に大野東人によって築かれたお城で、後の土気城。
かなり古くからお城があったんですね。
少し行くと土気城跡の案内板と、石仏が祀られている。
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地図の下の方に南玉不動尊があるのが分ります。
高台に広々と城跡があり(今は畑か雑木林)、その麓に不動尊がある。
グーグルマップには城跡の中を通る細い道をクラン坂とある。
クラン坂
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この名前は日中でも暗いからだとか。空堀の役目も果たしていたとも。
ホントに暗〜い。
夜は絶対歩きたくない。
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細い橋を渡ると外房線の上でした。
ようやく山を下りて大網白里市へ。
先ほどまでいた場所(善勝寺は山の上)を見ながら、南玉不動尊への道。
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なんと、滝もお堂も現在立ち入り禁止です。
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市のホームページには、
南玉不動尊の滝は、倒木や枝の落下の危険性があるため、敷地内への立ち入りはできません!
とあります。
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南玉不動尊の滝の案内板によりますと、
大網白里市指定文化財
南玉不動尊の滝
所有 不動尊清岸寺
「土気古城再興伝来記」の南玉不動尊略縁起によれば、「嵯峨天皇の御代、弘仁三年(812)夏の初め、山の中腹の滝の付近から怪しい放光があったので、里人は善勝寺(千葉市土気町)から住職を招請して不動尊を安置し、清岸坊と称した」とある。
先ほどの善勝寺から住職を招請して、お不動さんを安置したとのこと。
さて、日蓮宗・法華宗のお寺が虚無僧寺の菩提寺になったかどうかの問題。
虚無僧寺の菩提寺の宗派を調べて見ると、殆どが曹洞宗、臨済宗。まれに、天台宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、黄檗宗のお寺がある。どうやら日蓮系のお寺はここ、善勝寺のみ。
なにゆえ、日蓮、法華宗に疑問があるかと言うと、
四箇格言(しかかくげん)
と言って、
日蓮が他宗を邪宗として非難したときに用いた4つの句。 (1) 念仏無間 (念仏は無間地獄に落ちるものである) ,(2) 禅天魔 (禅は天魔の行為である) ,(3) 真言亡国 (真言は国を滅ぼすものである) ,(4) 律国賊 (律は国賊である) の4句をさす。
さらに、
日蓮は仏教を学んだ結果,仏教体系の正確な把握が必要であり,その中心をなすものは《法華経(ほけきよう)》にあるとの結論に達した。その立場から,最初は主として,浄土教の念仏信仰を,仏教の教主釈尊をないがしろにするために無間地獄に陥ると批判し,禅に対しても悪世においては凡人,凡僧が〈さとり〉を開くことは困難であって,久遠の教化をつづける釈尊の〈救い〉を待つべきであるとした。(中略)後人がこれを要約したのが四箇格言で,日蓮の宗教の激しさを示すものとされるが,このような批判の背後には,仏教の体系的把握があり,そのうえでこの言葉を理解する必要があろう。
執筆者:渡辺 宝陽
私は日蓮系のとある宗派の方々にとても激しく禅宗を否定されたことが何度かあり、その経験上での疑問でして、実際のところはどうなんでしょう?
ここに虚無僧が移ってきたのがいつ頃であったのか、その頃にここに来るべく何か理由があったのか、もっと詳しく調べたら何か分かるかもしれません。
土気城主の酒井家最盛期は1500年代のため、その後のことは、調査しないと分かりませんね。
こちらは、神田可遊師提供による普化禅師の位牌の写真。
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近くの人にお堂を開けてもらったのだそうです。
確かに、この南玉不動尊にはこの位牌があったということで(今でもあることを強く願っておりますが)、まるで虚無僧は隠れ切支丹みたいだったのかしらと、想像したりするのでした。
岡田冨士雄『虚無僧の謎 吹禅の心』によると、現在の不動尊清岸寺とはまた別の場所に虚無僧寺があったとあるので、今度はこちらを探しにいく。
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この地図を頼りに行く。
現状の道はこんなにシンプルでは無かった。
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竹やぶはある。
しかし、この辺りの家は表札がない。
たまたま野焼きをしていた男性に「若菜さん宅はどれですか?」と聞いてみた。
すると、この辺りは軒並み若菜さんとのこと。
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と、いうことで、この前方の家の向こう側に虚無僧寺清岸寺跡地となる。
一応、この辺りに虚無僧寺があったんですよ、なんてオジサンに地図を見せると、
「そんな昔のことまでは知りませんが、一体どちらの若菜さんで?」
とのことで、ホントに若菜さんばかりだそう。
さらには、この男性によると2019年の千葉県に甚大な被害をもたらした台風では、この辺りも酷かったらしく、山の近くでは二軒母屋が流され、駅の近くは腰まで水に浸かったそうな。
あの南玉不動尊は、よく無事に残ってました。
この辺り一帯、車も通らず、人っ子一人居ない中で、このオジサンが野焼きをしていた所に遭遇したのも、しかもすぐ近くで、それはとても幸運でした。
さて、
清岸寺跡地も無事分かったので、帰路につきます。
駅に近づくと、「若菜」ワードが目につくようになる。
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そして大網駅到着。
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それにしても、南玉不動尊はいつまで立ち入り禁止なのだろうか。
地元の人も、ここに普化禅師の位牌があるなんて知らなさそうである。
ここに普化禅師の位牌があること自体、ものすごい謎なのに。
次回来るときは、自治会長に連絡してから来た方が良さそうだ。
不動堂が天保の頃のものとは思えず、再建されたのか、これも今後の課題、要調査です。額と賽銭箱も確認せねばです。
やっぱり、普化禅師の位牌、本物見たいですね〜。
ご協力
尺八研究家 神田可遊師
参考文献
高橋空山『普化宗史』
岡田冨士雄『虚無僧の謎 吹禅の心』
小川春夫『虚無僧寺院(普化禅宗寺)孝 資料編』
植賀笋童『伝統古典尺八覚え書』
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