甲斐国の虚無僧寺明暗寺☆山梨県中央市の歴史講習会に行く🚃
先日、山梨県中央市の生涯学習教育講座に参加させていただきました👣
歴史教室
虚無僧寺と中央市の文化財
講師 伊藤久也先生
場所は永源寺本堂。
https://www.yamanashi-kankou.jp/rekitabi/jisha/spot/033.html
寺の周りにお掘りがあって川が流れています。
山門の脇には愛染明王と摩利支天
天白伊豫大権現さま
肝心の祠の写真がありませんが…。
いよいよ講習会!
尺八を持ってみえるのが伊藤久也先生。
諸星家の「覚」について
「覚え」とは、いわゆる領収書のことで、村々が明暗寺に留場料を払ったという証明書。
これらを年代順に並べた表とともに、領収書にある「印鑑」の年代による変化、これらに名前の記載のある用達人、桑原一郎兵衛のこと、岐阜の芥見村で起こった虚無僧刃傷事件のこと、それによって留場料の徴収はどうなったか、等々、詳しくご説明を頂きました。
およそ甲斐国にある700ある村から「留場料」を徴収していたとのこと。現代の代金にして5000円くらいだそう。
一年に一度とはいえ、相当歩きましたよね。
尺八研究家の神田可遊師曰く、乙黒明暗寺は「虚無僧資料の宝庫」ということで、図書館などに史料が保存されているそうで、神田師所有の文書も見せてくださいました。
田中家に伝わる尺八
二管とも1.9尺と同じ長さで、全く同じ場所に藤巻きしてあります。
150年ぶりに田中家から、外へ出たのだそうです。
なんと、演奏させて頂きました。
これは、きっと後にも先にも無いようなスペシャルなことで、神田師も来て良かったとのご感想でした。
普通は触らせてももらえないような重要な家宝だと思います。
良い経験させて頂きました………
手孔の減りなどが少なかったので、それほど吹きこまれていたという感じはなかったです。
二管全く同じであるのは、弟子に教える為なのでしょうか。
それにしても、双子みたいに太さも節の位置まで同じ二本の竹がよくあったものです。
絶対割れないようにと、製管した人の強い思いがこの藤巻きに表れているような気がします。
因に、このニ管の尺八を入れるための桐の箱は、「建具や松ちゃん」が作ったという情報まで教えていただきました。
伊藤先生が感動するほどに、尺八を入れるとカタリとも動かないピッタリの箱だそうです。
そして、さらにすごい虚無僧寺の遺物。
普化禅師坐像
この普化禅師坐像の裏には、明治四年に廃宗になった時に、菩提寺の永源寺に永年供納する旨が書かれています。
永源寺の住職曰く、字が全く色褪せ無いので、おそらく消えないように漆を混ぜた墨で書かれたのでは、とのことでした。
明治はじめ、廃仏毀釈でほとんどのものが破壊され燃やされてしまったのにも関わらず、永源寺の住職などの計らいで長年隠されていたからこそ、今こうして普化禅師坐像を拝めるわけですが、今の住職に一体いつから、公開できるようになったのか伺ったところ、平成年間前半頃の「れんげ祭り」の時に虚無僧行列をした時、初めて普化禅師坐像を公開したのだそうです。それまでは秘仏として非公開だったそうです。ですから、一般公開されてまだ30年も経っていないのですね。
歴代住職位牌と門弟の位牌
門弟の位牌があるのは珍しいことだそうです。
どちらの位牌も同じ人が書いています。
こちらの位牌の歴代住職の名前と、高橋空山の「位牌に依る」という歴代の名前が、どれも一致しないのが、今のところ謎です。
この他、明暗寺の屋根瓦も永源寺に保存されているそうです。
伊藤先生はまだ調査の途中と書かれていたので、今後の研究結果も楽しみにしております。
この講習会は、尺八研究家の神田可遊師からお誘い頂き、山梨県にご在住の百銭会、岩下誠氏に車で迎えにきて頂くなど大変お世話になりました。
またいつか改めて、さらに詳しく乙黒明暗寺「来機山三照院明暗寺」についてまとめてみたいと思います。
乙黒明暗寺といえば、吉川英治の虚無僧系図ですね。
もう一度読んでみたくなりました。
11月に行われる「中央市ふるさとまつり」では、今年も虚無僧行脚を計画中とのこと。
市の教育委員会がバックアップで協力してくれるなんて素晴らしい限りです。
この日も普化禅師坐像は公開されるそうなので、ぜひぜひ永源寺へ。
あと、永源寺本堂の床に、♪(音符)の跡があるのです!
地元の小学生が発見したそうです。
これを触ると楽器が上手くなるのだとか??笑
もちろん、触ってきましたよ。
普化禅師もいるし、床には音符跡があるし、楽器にご利益のあるお寺に違いない!
みなさんもぜひぜひ中央市の永源寺へ♪
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