路上の人々★
駅前で何か活動をやっている人というと、募金活動や署名活動、政治家の辻立ちや、物販、演奏活動やパフォーマー等々。
あとは、宗教活動者だ。
誰でも見たことのあるキリスト教系の二人組、富士山の写真のチラシを配る人。
虚無僧なので私もそのひとりになるのかも知れない。網笠に絡子、偈箱の「不生不滅」は仏教感あふれている。
先日、とある女性が話しかけてきた。
「あなたはもしや2〜3年前、吉祥寺でも活動されていませんでしたか?」
時々私を見かけたという人もいるので、どこかで私を見たという人がいても驚かないが…、
「私、エホバの証人の者です。」
とのこと。
お、覚えてますよ(汗)
その時は確か私に、何をしているのか聞いてきて、しばらく話をして、最後に困ったことがあったらこちらに連絡下さいと名刺を渡された気がする。
この人は、どこから見ても仏教系の格好をしている私にまで勧誘するのかしらと不思議に思ったものだった。
その女性が続けるには、
「髪、切りましたか?」
え?あ、はい、そうですね。切りました。
よく覚えておいでで…。
も、もしや、また勧誘なのかしら汗
私はちょっと構えて彼女の話を聞いていた。
その女性はさらに続けて、
「あなたは、以前お会いした時には、尺八の歴史や伝承に使命感をお持ちで、路上で演奏されているとお話されていました。頑張っていらっしゃるんですね、嬉しいです。どうぞお体に気をつけて。」
と、ニコニコと満面の笑みで私に話しかけ、さよならを言って去って行った。
ただ、私に偶然会って、嬉しかったということなんだ。
これは仲間意識というやつでしょうか。
別々の宗教ではあるが、信念を持って、暑い日も寒い日も野外活動をしているという仲間意識。
この方の宗教は、特に布教活動に熱心であればあるほど徳があると何かで読んだことがある。私のことも熱心な布教者に思われたのかも知れない。
不意に見ず知らずの人に、会えて嬉しいなんて言われ、不思議な気持ちになった。
彼の国では、別々の宗教同士で何十年も殺し合いをしているというのに。
日本は、とりあえず全ての宗教の人々が共存していて、こうして体の心配までしてもらえるのだ。
もしかしたら、気の毒にと思っているのかもしれないが…。
有り難いことだ。
うちのアパートの隣のオバチャンのところにも定期的にエホバの人が二人やってきて話をしている。オバチャンは共産党ではあるが…。世間話を暫くして、雑談の後にキリストの話を根気よく話して帰っていく。一人暮らしのオバチャンの格好の話し相手になっているが、オバチャンは共産党であることには変わりなく、キリストの話は右から左へで、中々苦戦しているように思えるが、その二人に別れ際にオバチャンは、風邪ひかないように気をつけてね!またね!と、仲良しの友達のように声をかけている。
宗教って何なんだと今更ながら不思議に思った。
なぜ人は、
自分たちが信じているものを声高々にやかましく崇め奉るのだろう。宗教に限らず。
なぜ他人が自分と違うことに我慢出来ないのだろう。
元を辿ると、結局は権力者に宗教が利用されているとしか思えない。皆が同じことを信じていれば統治しやすい。人間の集団心理を利用した権力者のやり方だ。その為に宗教が造られたのか。
そんな風に思ったりする。
先日、渋谷に虚無僧に行ってきた。
いやはや、街の喧騒がひどいこと。
街中にいくつもある大きな液晶画面の映像の音、電車の音、装飾宣伝カーから流れてくる音、車の音、人々の声、などなど。
渋谷は生音の尺八を吹く虚無僧向きではなさそうだ。
人が多ければいいってもんじゃない。
でも、せっかくなので、久々の渋谷を虚無僧できる場所は無いかぐるりと回ってみた。
あちこちに色々新しい建物ができていて、ずいぶん洗練されたお洒落な街になってきたようだ。自分には全く用無しではあるけれど。
スクランブル交差点感があまり出なかった…
それにしても、若者たちの平和であることよ。
現代では、人々の仏教心がすっかり無くなってしまっているのはコムソーとしては寂しい限りですが、爆弾が飛んてくるとか、宗教争いなどが国内にあるよりは平和でいいのかな。
もうすぐハロウィンだ。
今年は「渋谷はハロウィーンイベントの会場ではありません」とのことで、横断幕まで掲げてある。定着してしまったものを払拭するのは至難の業ですな。
今や宗教感ゼロのハロウィンだけど、それこそ老若男女、国籍関係無しの仮装パーティーは、平和の象徴な気がする。
しかしながら、平和は、ある日突然どこかにいってしまうものなのだ。石に齧りついてでも定着させておきたいものです。
あらゆる世界で宗教・民族紛争が無くなることを強く祈りつつ…
31日は、どこで吹こうかな🎃
(何となく便乗してる奴)
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇