世界一重たい五十円玉。
辻立ちを終え、編み笠をとり、絡子(袈裟)を外したりして、帰り支度をしている時に、たまに「はい」とお布施を頂くことがある。
「あ、...どうも。」なんて不意をつかれたように固まってしまう。
いつも偈箱に入れてもらっているので、素手でもらうのに抵抗があったりもする。
この日は、少女とも大人ともつかない面立ちの女性が、手に五十円玉を持って、しゃがんでいる私の方に差し出している。
ややうつむき加減でニコリともしていない。
が、目は私の目を見ている。
私は不意をつかれて声も出ず、会釈をしてその五十円玉を頂き、色んな物を持ったまま合掌でお礼をした。
私はもちろん笑顔。
彼女はくるりと向きを変え、スタスタと行ってしまった。
私はニコニコしながら彼女が見えなくなるまで見送っていた。
ようは、ジーーーーンとしていた。
そう言えば、少し離れた場所にしばらく小柄な女性がいたような気がする。
あのうつむき加減といい、彼女の面立ちは、かなりの引っ込み思案な性格のように思える。
相当な勇気を振り絞って、私に近づいてきたはずだ。
なんという有り難さ。
なんという重い五十円玉。
なんというキレイなお金。
この五十円玉は、そんじょそこらの五十円玉とは違う価値があるのだ。
世界一重い五十円玉なのだ。
地球上で、と言った方がいいか。
この偈箱に入っているお金全てがそうだけど。
こういう体験は、自分の魂が浄化される。
人々の仏心によって。
もういつ死んでもいいという気になる。ホントに。
いや、つくづく、もう虚無僧やったんだし、いつ死んでもいい。
が、
世間は冷たいものだとも思っておいた方がいい。
他人を一生食わしてくれるほどの余裕のある人なんて、いないんだし。
簡単には死なせても、もらえない。
ともかく、
別にだまって通り過ぎても良かったのに、
勇気を出して意思を表明してくれる全ての皆さんに、
感謝!🙏
そして、
二度咲いてくれているキンモクセイにも、
感謝🧡
ええ香りや〜☺️