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普化禅宗 虚無僧寺惣本寺 一月寺『探墓行』☆其の二 

菩提寺、萬満寺に一月寺歴代住職のお墓あり!


萬満寺は松戸市の馬橋駅から歩いて5分ほどの、臨済宗大徳派の大きなお寺です。


JR馬橋駅 


山門



萬満寺

鎌倉時代の建長八年(1256)に小金城主であった千葉介頼胤よりたねが、鎌倉極楽寺の良観房忍性を招いて堂宇を修め、真言宗の大日寺を開いたのが始まりといわれています。
現在の萬満寺(臨済宗)となったのは、千葉介満胤の時代康暦三年(1379)といわれ、満胤は鎌倉の瑞泉寺にいた夢想国師の高弟古天周誓を招いて中興開山し関東管領足利氏満(1358〜1398)の満の字をとって萬満寺と号したと言われています。

市指定有形文化財に『一月寺遺石』とあります。


仁王門


仁王尊金剛力士像・重要文化財



両足の間に四方の隙間があり、これをくぐると病魔災害を防ぎ、丈夫になるといわれ、自然に発した行事だそう。春と秋の御開帳には「仁王股くぐり(病除け)」があるそうです。


水かけ不動尊


本尊は中風除不動尊といわれ、中風や足の病によく効くとされています。

御開帳の時にお参りに来なければ、ですね。



墓地に入ります。



一月寺遺石群の手前にドドンとある門碑。


雖為骨肉同胞
不許無案内入


「骨肉の(血を分けた)同胞たりといえども、案内無く入ることを許さず」

裏面「嘉永三年歳在庚戌春三月蒼海反熙建立 龍眠書」(1850年)

(西向寺奉賛会「虚無僧寺西向寺」では蒼海友熙)


この碑は「千葉縣東葛飾郡誌」によれば明治初年まで「五尺許ノ壇ノ上へ置ケリト云フ」とのことで、150センチの土台の上に碑が立っていたという。(神田可遊著「尺八研究10号」より)


松戸市立博物館より


さらに、「風俗画報」279号(国書刊行会刊)による一月寺の絵には、

葷酒可許入山門くんしゅさんもんにいるをゆるすべし

とある。


本来は、

【葷酒山門に入るを許さず】
(読み)くんしゅさんもんにいるをゆるさず

葷酒は、心を乱し修行の妨げになるので、寺の門内に持ち込むことは許さない。禅寺の山門の脇の戒壇石に刻まれる言葉。

小学館


虚無僧は許されたのか?
絵描きが間違えたのか??



因に門碑の隣にある立派なお堂「一月堂」はどなたかの寄付によって建てられたそうです。



松戸市指定文化財
一月寺遺石
関山塔および遺墨墳碑

旧小金宿にあった普化宗一月寺は、正嘉元年(1257)金先禅師によって創建されたと伝えられています。
江戸時代には青梅の鈴法寺、京都の明暗寺にならぶ普化宗の本山として隆盛をきわめていましたが、明治四年(1871)普化宗の廃止令によって廃寺となりました。
開山塔は、第百三世住職関月が開山をしのび、享保十六年(1731)に建立したもので、台石には一月寺の由来が刻まれています。
遺墨墳碑は、江戸時代に起きた但馬国出石藩のお家騒動、俗にいう仙石騒動に縁のある石碑で、騒動の際に一月寺の愛璿あいぜんによって助けられた神谷転が、愛璿の死後報恩のため天保十三年(1843)に建立したものです。
なお、現在のこ地に一月寺の遺石が移管されているのは、江戸時代より、万満寺が一月寺と深くかかわってきた縁によるものです。

平成四年
松戸市教育委員会



一月寺歴代住職

開祖 古山靳先 
正嘉二年(1258)十月十三日 示寂

2世 鼓岩了波 
北条長時の帰依を受けて、新しく建増をし、また庄園も与えられた。1260年(文応元年)には、三浦一族の戸部某が、 事あって領地を幕府から取り上げられ、一月寺に入って宗徒となったが、後に北条時頼の時に許されて、元の主の許に帰ったという。
    
祐覚、松滴 
文明年間(1469~86)の住職二人であるが、詳しいことは分からない。
この頃に小烏といった変わった者がいて、二人を助けたという。☆

☆文明年間(1469-87)、この一月寺に小烏という身の丈六尺七寸で髪が足元まであるという梵論字がいた。十五年間大尺八を吹きながら千葉の小金から箱根権現まで願かけに毎日往復した。その音は一里四方に鳴り響き、吹いた手は「虚空神力譜」として一月寺に残っていたという。その尺八は二尺四寸の長管で周囲は九寸。(相当太い)

神田可遊著 「虚無僧と尺八筆記」には小烏の絵が載ってます☝️要チェック



66世 有夢 
永正年間(1504-21)
彼は1507(永正四)年に開祖の靳先の字を金先と改める事にし、その二百五十年忌を行った。

 
101世 善室義慶首座 
宝永六年(1709)四月十二日

 
102世 覚巌恵了首座 
享保十年(1725)四月一日 

 
103世 東江關月首座 
元文四年(1739)二月二十五日 

享保十六年(1731)四月、開山塔などを建立 

開山塔

於戯碩徳老金先
十六派流一味禅
要識諸頭明暗旨
傳燈四百有餘年


台石の刻文は、一行六字詰十五行宛。

夫下総陽葛飾 郡小金邑普化
宗金龍山一月
而扶桑國裏普 化宗之本山也
今教頴首等歳 月則師戢化正
嘉二戌午十月 十三烏至享保
十六辛亥行年 四百有餘考世
代則臻現在關 月而百三世也
信古山禪師之 碩徳傳依◇規
肯然而可尚矣 雖然傳聞中年
有回祿之災而 澆却殿堂又塚
前石麟等令也 有牌無塔誰進
誰拜塔斯故仁 緇東江關月悲
哀無開山之塔 而時々告報乎
末葉之緒老江 湖之衆緇云吾
今造立開祖之 塔而唯願朝拜
去暮拜去道了 諸老衆緇聽吾
志氣濃同其◇ 而各々新造立
開山塔矣小于 關月謝法恩書
寫大乗妙典一 部石筐之拜納
之於塔所之徹 底而其上立祖
塔也月質◇之 餘禪良辰而屈
諸四隣之諸位 師◇羅江湖之
衆徒而専執行 祖忌奉謝開祖
恩焉關月因爲 ◇而題短偈其
塔回云爾
惟時享保十六年辛亥四月朔日

  現住月東謹拜書

中塚竹禅著「第八回探墓行」


碑面は苔蒸し石摩滅して文字の判読容易ならずということで、中塚竹禅は一月正空氏に依頼し写し取ってもらったとのこと。

真ん中より後半に、

「關月法恩を謝し、大乗妙典の一部を書写して、之を石筐(石の箱)し、これを塔所の徹底に拜納し、そして其の上に祖塔を立つ」

とある。これが書かれたのは、まだ北小金の一月寺にこの塔があった頃のことで、この萬満寺に移動した際、その大乗妙典は存在したのかは分かりません。


 
104世 寛算裏碩首座 
延享三年(1746)九月二十九日

元文三年(1738)三月『宗門的傳靳先派之系図』著す。
没後4年、二世鼓岩了波から103世までの歴代碑をこの人が建立したことになっている。

現在、松戸市博物館に展示されている本則は元文御年(1740)六月、寛算裏碩が「洞雨」に出したもの。 高橋吹古師寄贈。

詳しくは其の一に↓


この頃に、左文・半休・義好・残水・秋曲・吟竜などの尺八に巧みの者がいた。
黒沢幸八琴古が出先で尺八曲を集めてきて、これを伝えた。

105世 仰雲泰巌ぎょううんたいがん座元  
寛延三年(1750)七月四日(この日が先の歴代の碑が建立された日) 

神奈川の西向寺から栄転。延享四年秋、『一月寺家訓』を著す。内容は門弟から普化宗門の源を訊かれたのでそれに対して、法燈国師、四居士、古山靳詮や普化和尚の事跡などを説き、尺八によって普化振鈴の根底にある禅機を体得せよと諭したものである。

『一月寺家訓』
松戸市立博物館所蔵


106世 瑞鳳宗翔座元(大禅師)
寛政二年(1790)四月十六日 

 
107世 松蔭玄操座元 
安永二年(1773)七月十三日


左端 瑞鳳宗翔大禅師
右端 松蔭玄操大和尚



108世 鉄透祖関和尚 
天明七年(1787)四月九日 (観念寺墓碑による)

 
109世 長運觀守   
没年不詳 (町田南大谷の天神社奉額による)
 
俗名を三木一甫将盈といい、豊後の日の出で揚心流柔術が巧みであった。67才で亡くなる時に「東路に著うて有難し墨衣、錦を飾る西の故郷へ」と歌を詠んでいる。

 
109世 観道勇志   
没年不詳 (松蔭玄操の墓碑建立、その記述による)
 
110世 鉄透祖関和尚 
(観念寺墓碑に「再董」とあるので再び住職を務めたか)★

★観念寺にある墓碑に「普化末裔起弊險快雖拒不止再董一月寺痛斥整治焉」とあり、鉄透祖関和尚は拒んだものの断り切れず、一月寺の住職を再度引き受けて、正常な状態に戻しおえたということ。111世から112世までの約50年間は住職は空位だった。この半世紀を西向寺住職の傑秀看我を「院代」にしたり「出役」をおくなどして乗り切った。

 
111世 良運大暢首座 天明四年(1784)九月八日 (院代・聖道宣周 傑秀看我) 

 
112世 宵海蛟竜しょうかいこうりゅう禅師 天保十三年(1842)八月八日(天保6年2月15日から住職)


右端 宵海蛟竜之墳


その他出役に、仙石騒動で暗躍した無着愛叡 清山寺看主・澄源有道、西向寺看主・静海謙譲がいる。


清山寺についてはこちら↓


この他、一月寺には「なるかみ(鳴神)」という尺八もあり、水戸藩主が小金に来る時は必ず御覧になったとのこと。高橋空山『普化宗小史』によると、宝伏が宋からもって来た尺八を鳴神といい、日光御門主の解脱法親王に差し上げたという。親王はこれを吹くことを好まれ、鳴神と名づけたという。



有志の皆さんと献笛。


虚無僧遺石辺りは整備中のようでしたので、また次回どうなっているのか楽しみです。


以上、一月寺『探墓行』でした♪

参考文献

神田可遊著「虚無僧と尺八筆記」
神田可遊著「尺八研究 第3号,第10号」
値賀笋童著「伝統古典尺八覚え書」
中塚竹禅著「第八回探墓行」
高橋空山著「普化宗小史」




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kataha
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