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澤水寺へ再び👣虚無僧の墓を見たという人に会う☆
「寺址の左には径があって、八王子城下横山口へ通じてゐる。」
という天野佐一郎著『普化宗澤水寺の廃墟』のこの一文に刺激され、再び今度はアプローチを高尾駅から変えてやってきました。
見出し画像は、『武蔵名勝図会』の「八王子十五ヶ宿」。北側から見た絵となっている。虚無僧寺があったわけではないが、江戸方面から来た虚無僧がここを歩いたかもしれない。
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ただ単に、地理的に把握したい性分なんだと思います。
地図で見れば一目瞭然ですが、現在は新しい道路や新しい団地が出来、虚無僧寺から八王子城跡の山までは、完全に分断されており、当時を偲ばせるような景色を見られるとは思ってはおりませんが、
少しでも、
虚無僧が見たかも知れない景色を見る為に、春のウォーキングがてら辿ってみたいと思います。
高尾駅を北上します!
せっかくですので、通る道にあるお寺参りです。
霊慶山妙観寺 真言宗智山派寺院
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おお、笠地蔵三体!
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立派です。
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この阿弥陀・釈迦・地蔵の三躰の石佛は、俗に笠地蔵と呼ばれ、當寺先住法養房實圓法印が十万有縁の喜捨を募り、弘化二年(1845)から同五年(1848)にかけて造立したものである。實圓法印は武州多摩郡二分方村柳澤の人で、天保十四年(1843)十月には、師岡忠助美寛作の梵鐘を鋳造し、當寺の興隆には與って功があった有徳の住僧である。安政二年(1855)九月十日當寺で没したが、五重石塔の下に入寂していると傳えられている。
なんと、この石像を造立したのは、これから行く二分方村柳澤出身の實圓法印という僧侶だそうな!
嬉しい偶然です。
すぐ近くには、八幡神社。
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当社は、源頼朝公の家臣梶原平三景時が、当地が所領ゆえ建久二年(1191年)鎌倉八幡宮の宮殿造営が終わり、正遷座の際古神体を賜り同年六月奉祀した。参道に景時勧請の時植えた都天然記念物「梶原杉」ありしも、樹盛衰え愛惜の中、伐採した。(東京都神社庁HPより)
こちらが、勧請の時に植えたという「梶原杉」跡。
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朝の清々しい風景。
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そして、神社出て北東に向かいます。
何故だかいっぱい着せられたお地蔵さま。
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地図には「かなくそ地蔵」とあります。
ネットの情報によると、漢字では「金糞地蔵」と書かれ、この辺りは刀鍛冶を生業とする人々が住んでおり、刀を作る際に出る鉄屑を廃棄する場所の近くにこのお地蔵さまを祀り「鉄供養」をしたとのこと。近くには「鍛冶屋敷跡記念碑」もあります。
参照↓
https://omairi.club/spots/102965/point
さて、
私の計画では、かつての虚無僧寺澤水寺の西側に残された、山から柳澤まで行くというルートを探すということ。
山というものには、尾根には必ず踏み跡があるもので、ゴルフ場だとか、松茸があるとかいう場所でなければ、だいたい人は入れる。
以前私は、バリエーションルート登山にハマっていて、地図読みだけで山に入り、民家の裏から降りて来るなんてことをよくしておりました。
とりあえず、地図の破線があるということは、道があるという事なので、とりあえず行って見る。
…と、間違えて曲がる道を真っ直ぐ進んだら、道の脇に御岳神社。
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かわいい奥の院。
この辺りの寺社はだいたい北条氏照氏が勧請したというものが多いようです。
道は無いので戻ります。
再び上へと向かう道を行き、民家を通り過ぎると、地図に記載の無いお寺がありました。
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ここで行き止まりですが、お寺の裏にはいかにも小路があり、
なんといかにも古い石仏。
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横には、こう掘られている。
光明遍照十万世界
念佛衆生摂取下捨
光明は遍く十方世界を照らし、
念仏の衆生を摂取して捨てたまはず
大意は、「(阿弥陀仏の体から放たれる)光はあまねく十方世界を照らし、仏を念ずる衆生を救いとって見捨てることがない」。
元禄年間(1688-1704)のお地蔵さまです。
やはり、むかし道なのでしょうか。
このお地蔵さまのあった小径をずんずん行きますと、山頂に開けた場所がありさらにずんずん行きますと、山の中の稜線上の林道にでて、そのまま行くと、山の南側の谷沿いに建てられた私立高校内に出て、澤水寺跡の裏手の団地の下に降りてきてしまいました。
雑木林の気持ちの良い山でしたが、小路は無かったです。
そのまま団地からアプローチするということで、団地内には変わった名前の神社。
大六天魔王神社
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第六天神社と言われ、関東地方、旧武蔵国に多いのだそう。
そして、小川春夫氏の調査による住所から、澤水寺の墓地跡の確認。
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うーん、感慨深いとは言い難く、場所が分ってしまうところが悲しいような。
すぐ横の中学校。
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柳澤神明社も中学校の建設時に移動させられたとある。
後ろは澤で清水が湧き、寺のあった頃は小池をなしてゐたといふから、澤水寺は其の名の境地にふさはしい名であったと思ふ。
この沢は、今でも名残があります。
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神明社にお参りをして、歩きだしたところ、ちょうど近くの家の男性が洗車をしていたので、声をかけてみた。
虚無僧寺跡地に住んでいたという画家、大室白輝氏の斜向かいの家だったので、大室画伯のことを聞いてみた。
すると、あっさり
「ああ、大室さんなら知ってますよ。奥さんが住んでいらっしゃいました。ボクが中学生の頃でした。」
とのこと。
小川春夫氏が調査した頃と時期が重なるようだ。神田可遊師も会っていらっしゃる。
現在は家が2軒建っているが、大室邸はその2軒分の敷地に家が建っていた。奥さんが亡くなってから分譲したらしい。ご家族の事を聞いたら、子どもさんはいたようだが(もしかしたら親戚かもしれないが)その家は引き継がなかったそうだ。その家を整理する際、中学生の頃の彼(洗車をしていた今はオジサン)は大室画伯の絵を何枚か貰ったそうだ。
いやはや、たまたま車を洗っていてくださりありがとうでした🙏
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実は、今回ここへ再び来たのも、佐々木儀三郎氏、佐々木興四郎氏の家を探すためでもあった。
「澤水寺住職、海我和尚より引継者は佐々木興四郎氏。」
「その他、澤水寺の書類一式と当時の什器、宝物の水晶玉(直系二寸三分)等は全て、佐々木儀三郎翁の父親に、引き継いだと言う。」
『虚無僧寺院(普化禅宗寺)考 資料編』
澤水寺の宝物がもしかしたら、代々佐々木家にあるかもしれない。
実際、すぐ近くに「佐々木」の表札があったので、ピンポンしてみた。
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応答はない…。
向かい側はどうかな、と思って行ってみたらここも表札が「佐々木」さん。
こちらもピンポンしてみたが応答はない…。
ところが、庭の方から声がする。
男性が2人くらいで会話をしているようだ。
こちらの佐々木邸は農家らしく、家の横には畑が広がり、ビニールハウスのようなものがいくつかあり、その中から声がするのだ。
すみませ〜ん
と声をかけてみた。
中には2人の男性が話をしていた。
あの、佐々木さんはいらっしゃいますか?
あ、オレオレ。
と、ちょい悪オヤジ風の、とても農家の庭先にいるとは思えないシャンとお洒落した格好の年の頃七十代くらいであろう男性が手を振った。
澤水寺のこと、佐々木儀三郎氏のことを説明してみると、
オレ歴史興味ねーからゼンゼン分かんねーよー。
え?大正の頃?墓ならあるけど〜。
と、庭先の佐々木家の墓地を案内してくれた。
古いのは埋めちゃったんだよねー。裏の川の工事で墓の敷地が狭くなったからさ。
まさに、「お墓のお墓」状態だ。
大正以降の名前しか無い。
確認すると、儀三郎氏も興四郎氏も無い。
残念…。
ちょい悪オヤジもだんだん打ち解けてきて、
「オレ、こどもの頃、虚無僧寺の墓見たぜ。たくさんあったよ。あの頃、うちと向かいの佐々木の家しか無くてさ。
中学校造る時に、虚無僧の墓、全部谷に埋めちゃったんだよ。そしたら、幽霊だの祟りだの噂があってさ、実際引っ越した人もいるよ。アハハハハ。」
なんと、こちらの佐々木さん、虚無僧の墓を見てらっしゃる!
佐々木儀三郎翁は見つけられなかったというのに。翁と言われるくらいだから、忘れっぽくなっていたのか?!
城山中学校は1983年(昭和58年)開校。今から40年ちょい前。ということは、80年代頃までは虚無僧の墓群はそのまま雑木林の中にあったということだ。法泉寺にある移動された墓はかろうじて一つ。谷に埋められる前に、「代々尊霊」とあった墓のみを救い出したのだろうか。
小金井からやってきたと話したら、友達が武蔵美で遊びに行っていたという話、昔は武蔵境辺りは何も無かったなんて親しげに色々昔話をしてくださった。
そして、礼を言って佐々木邸を辞したのでした。
町田の南松寺も宅地にする為に虚無僧墓群が埋められそうなところを、近所の住民の方々に墓を神社に移動してもらい難を逃れたわけであるし、近い話では、一月寺末寺の福岡の江月院も、虚無僧寺跡地は祟りがあると言われていたのに、とうとう宅地分譲されてしまったとのこと。
知ってるから怖いだけで、知らなければどうってことはないのでしょう、きっと。
ただ、
埋めなくても〜〜〜涙
…と、心の叫びと共に、
幽霊がんばれっ!
と密かに応援しているのでした📣笑
帰り道は、大沢川沿いの桜を見ながら、
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桑畑を懐かしみ、
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南浅川の桜も堪能し、
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西八王子駅まで帰ったのでした。
大室画伯の近所のお兄さん、そして佐々木さん、ご協力ありがとうございました🙏
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