虚無僧とショパンの『雨だれ』について
とあるリサイクルショップでラジカセを購入した。ラジオカセットプレイヤーというやつだ。わりと新しくUSB録音対応。たまたま入ったお店にたまたまあって即買いした。
我が家にある25年くらい前に購入したCD&MDラジカセは、MDが聞けず、CDはリモコン操作しか出来なくなってしまっていて、カセットも横に入れるタイプだったので、故障して取り出せなくなったら怖いなと思っていたところだったのだ。
ラジオも最近はスマホ対応で聞けるので、それほど必要では無いが、スマホからBluetoothでスピーカーに飛ばして聞くという一手間が省けるし、設置してみるとなかなか便利である。
早速何か聞いてみたいと、ウチの同居人がそのリサイクルショップで、ショパンのセレクトアルバムを選んできた。カセットテープの中古の類は演歌が多くその他あまり種類が無い。
これは絶対一回聞いたら二度と聞かなくなって結局また箪笥の肥やしになるってやつだからと私は渋ったが、我家の天袋に仕舞い込んである昔のカセットテープを引っ張り出そうと思ったら一騒動になってしまうので、とりあえず何か音楽として聴けるものを一つ購入してみたのだった。
そして、家に帰ってそれを何気に聞いて見ると、第15番変ニ長調の『雨だれ』が、明暗流の「瀧落」の雨だれ部分に似ているではないか!
ショパンの『雨だれ』とは、
フレデリック・ショパンの『24の前奏曲』作品28の一曲、第15番変ニ長調の通称。名称はジョルジュ・サンドが右手の和音の伴奏を雨だれになぞらえたことに由来する。
とのこと。
そして、ここで言う「瀧落」は、普化尺八の明暗對山系の「瀧落」です。
「瀧落」という呼称は昔から諸種の方面に使われており、筑紫流箏曲、長唄三味線、能の笛など。その他柔道古式の形にも「瀧落し」があるとのこと。(富森虚山著『瀧落』)
さらに『瀧落』について詳しくは、神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』90頁「尺八古典本曲解説23」にありますので是非こちらをご参照ください。
最近『瀧落』を撮り直しました。
古典尺八楽愛好会の皆さんの練習用です。
「雨だれ」部分は2箇所あり、
4:02〜4:14(1箇所目)
9:13〜9:25(2箇所目)
「 ハハロロ・ツツレ」(リリロロ・ツツレ)二回繰り返し
の部分。
このたったこれだけの部分があのショパンの『雨だれ』の凝縮された音として表現されているのだ!
(これは完全なる個人的な感覚でそう思うのであまり深く追究しないで頂きたいのですが…)
改めて、すごいな古典本曲。
と思ったわけです。
さて、
そもそも、
竹内史光師だけが「雨だれ」としているのか?
直接習った中根西光師からは、「滝のまわりにある水蒸気が、周りにある木々にたまり露となり、それが滴り落ちること」というように教わった。
一応分かるだけの超狭い範囲で「瀧落」の中の雨だれについて調べてみた。
こちらは史光師の譜。
對山譜は無いので分かりませんが、谷北無竹譜には「雨」「雨滴」とある。
同じ樋口對山から明珍宗山系の芳村宗心師の「明暗四十世普庵芳村宗心師の世界」の譜には、
一箇所目「味わいをもって、音を大切に」
二箇所目「葉にたまった露がコロコロと落ちる感じで」
とある。
そもそも、この「瀧落」という曲は、古くは初代黒沢琴古(1710 - 1771年)が一月寺から本則をもらった残水という虚無僧から習ったことが『琴古手帳』に残されている。
詳しくコチラ↓
1806年に刊行された、山東京伝作『昔話稲妻表紙』に、
と、虚無僧が「瀧落」を吹いていたことが描かれている。
因に、高橋空山は『普化宗史』で、「滝の落ちる様を写したと為す事は誤である。」と伊豆の龍源寺作を否定している。神田師も(楽しいのだが「空想」であろう)とのこと。
今となっては、どこで作曲されたものでも良いのではあり、「滝落とし」という名前が江戸時代中期からあったということは、きっとどこかの滝のことに関連した曲に違いないだろうと想像する他ない。
さらに「雨だれ」がショパンの『雨だれ』に似ているなんてもっとどうでも良い話を、最後まで読んだくれた方々にただお礼を申し上げるしかありません。
こちらは有名なお話ということで、九州第一の吹き手と言われた清水静山と瀧落にまつわるお話。
広く浅くより、一曲を完全にマスターすれば全ての曲が吹けるようになるという習い事の基本のようなお話。
私は「瀧落千回」と中根先生によく言われました。千回というとちょうど三年と少し。もしかしたら「清水静山 瀧落三年」からきているのかな。
いつの間にやら私も千回は吹いたと思いますが、「雨だれ」がショパンの『雨だれ』に聞こえるほどに楽しくなりました笑
全くもって謎な古典本曲、吹けば吹くほど面白い!
「瀧落」の雨だれとショパンの『雨だれ』、そして清水静山のお話でした。
清水静山についてはこちらにも↓