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【ダークファンタジー小説】ウィルトンズサーガ『古王国の遺産〜受け継がれるレガシー』 第8話

マガジンにまとめてあります。


 宿にはすぐに入れた。外で助けた母娘は、一階の食堂にあるカウンターの向こうで、抱き合って震えていた。ウィルトンたちが姿を見せると、ほっとした様子で出迎えてくれた。
 
「ありがとうございました。おかげで助かりました」

 母親の方が言った。三十を四つほど超えたくらいの年齢に見えた。明るい黄褐色の髪の毛は豊かで色艶があり、目も黄玉色に輝いていた。娘も同じだ。

「ありがとうございました」

 娘も二人に頭を下げる。

「いや、俺たちはサダソンから依頼を受けたんだ」

 母娘は目を輝かせた。

「まあ、私たちをお助けくださるのですね!」

「ああ、そうなるな」

「なんと素晴らしい! どうかお願いいたします。二本目からの赤ワインは、ただで差し上げましょう。安い物しかありませんが」

「それで充分ですよ」

 アントニーは微笑んでみせる。娘は彼の顔に見惚れ、頬を赤くした。

「そうだよ、それで充分だよ、お嬢さん」

 ウィルトンはアントニーを真似て優しく言ってみる。娘は彼の方を見た。

「はい、どうかよろしくお願いします」

 その態度には敬意は感じられるが、顔を赤らめはしなかった。

「あー、やれやれ」

「え? 何か?」

「いや、何でもない」

「あの、安い物しかなくて申し訳ないのですが」

 娘はうつむく。

「違う違う、赤ワインはそれでいい」

 ウィルトンは「はあ」とため息をついて今度は母親の方に顔を向けた。

「まだ名乗っていませんでしたね。私はロザリアと言います。娘はロズミナ、です」

 ウィルトンはにっこりと笑顔を見せた。母親は、娘とは違った円熟味のある美と色香を漂わせている、とウィルトンの目には見えた。

「どうぞ安心してください。この件は必ず我々がどうにかしてみせます」

「はい、とても頼りにしております」

 ロザリアは暖かく笑みを返してきたが、それは自分たちを助けてくれた恩人への感謝と敬意以上のものではない。

 ウィルトンは二度目のため息をつく。多少なりとも良かったと思うのは、母親のロザリアの方は
、アントニーを見ても顔を赤らめはしなかったことだ。

「ここの宿は、二人だけでやっているのか?」

「隣の小間物屋から手伝いに来てくれる娘さんもいますよ」

「そうか、大蜘蛛の件で、いくつか聞きたいことがあるんだが」

「どうぞ、何なりと」

 ウィルトンは横目でアントニーの方を見ながら、

「さっきの大蜘蛛はどの方向から来た?」

と、尋ねた。アントニーはふっと苦笑する。ここで他の件と一緒に質問出来るなら、足跡を追うのにこだわる必要はない。それは彼も分かっていた。

「林の奥から、だと思います。気がついたら近くまで来ていて。宿から出た時には、何も見なかったのに」

「巨体なのに身軽だからな。サダソンの宿で天井から落ちてきた時にも、音をほとんど立てなかった」

 それに、宿屋や小間物屋の周辺は草木が刈られていて地面は均(なら)されている。草むらを進むときのように、がさがさと音を立てもしない。気がつかなくても無理はないと思う。

「俺たちは昨晩、夜が明けそうになる前にサダソンの宿屋に入った。五匹もの大蜘蛛がいて、俺たちが全部倒した。それでサダソンから聞いたんだ、奇妙な、骸骨のような外見の旅人かいて、そいつが蜘蛛を連れてきたみたいだと」

 ウィルトンはゆっくりと話し、いったん言葉を切った。ロザリアが、話の中身を充分理解出来るように待つ。

「まあ、そうだったのですか」

 ロザリアは恐ろしいと言わんばかりに身を震わせた。困惑したように視線を漂わせる。

「それで聞きたいんだ。昨日の晩やそれ以前にも、何か怪しいものを見なかったか? 人でも物でもいい、変わった何かを見たなら教えてくれ」

「怪しいもの? 覚えはありませんね」

 ロザリアは娘を見た。

「お前は何か見なかった? まあ見たなら私に言うはずよね」

 ロズミナは記憶をたどるように考え込む様子を見せた。

「言うほどのことではないと思って。昨日、日が暮れる前、まだ明るい時に、林の方で立っている人影を見たの。でも、特に怪しいとまでは思わなかった。街道を旅する人が林に入って狩りをしたり、野営をするのも別に珍しくはないから。まだ春の初めだし、外で寝るのは厳しいとは思ったけれど」

「どんな様子でしたか? 出来るだけくわしく教えてください」

「ええと……」

 ロズミナはうっとりとアントニーを見上げて、見惚れたまま黙った。

「思い出せるだけでかまわないですよ。後は我々が調べます」

 ウィルトンは微かな音を立てて舌打ちをした。あからさまに不満を言うのは大人げないと分かってはいる。

「は、はい。あの、その人は顔の下半分を隠すベールをしていて、だから女の人だと思いました。すごくほっそりしていて。こんな女の人が一人で旅をしているのかと思いましたけど、人は見かけに寄らないものですから。荒事師でも普通は何人かで旅をするものです。だから、少しだけ印象に残っていました」

「顔はよく見えなかったのですね?」

「はい、離れていましたから。それに、木の影になって余計よく見えなかったんです」

「骸骨もどきだったかも知れないな。まだ断言は出来ないが」

「そのベールをした者が立っていたのは、大蜘蛛が来た方と同じですか?」

 それは良い質問だとウィルトンは思う。林の方だけでは漠然とし過ぎている。ただ、ロズミナは正確に覚えているだろうか?

「無理には思い出さなくていい」

 念のため言った。アントニーのためと思うあまり、実際には見ていないことを見たと言われてはかえって間違いをする元になる。

 ロズミナが意図的に嘘をつくと言うのではない。思い出せないのを無理に思い出そうとして、偽りの記憶を作ってしまうことが人間にはままあるのだ。

 ヴァンパイアにもあるのかは分からない。

「ええと、同じ……だと思います。よく分からないです……。蜘蛛の方は突然近くに現れたように思えたので、林のどのあたりにいたのかは、よく分からないんです」

「お前が正しかった。やはり蜘蛛の足跡を探そう」

 考えてみれば、林のどこから来たか分かるくらいなら、その時点で助けを求めるくらいはしたはずだ。

「昨日ならまだ、そのベールの人物の足跡も残っているかも知れません。雨が降らなかったのは幸いでしたね」

「ああ、そうだな。よし、足跡が消えないうちに探そう」

 そいつらはやはり林の奥から来たのか? 何のために?

 ウィルトンは思案しながら、さっさと宿の外に出ていった。



 ふわふわと意識が彷徨(さまよ)い出る。

「時価より少ない額で受けるなんて馬鹿げている!」

 吐き捨てるような強い口調。だがそれはウィルトンたちに向けられたものではなく、自分自身に言い聞かせているのだ。強く、強く言い聞かせる。さもないと自分のやるべきことが曖昧になり、他の人間の影響を受け過ぎるからだった。

 先ほどの昼下がりに、ウィルトンが作った料理を振る舞われた荒事師の一人だ。他の二人は彼より前を歩き、この男べナリスの言葉を聞いてはいない。

 別段、ウィルトンの方は自分たちのやり方を他に押し付ける気はない。べナリスも分かってはいた。

 ウィルトンは、相場が下がることへの懸念ならば耳を傾けもしようが、その事で話し合うのなら、ウィルトンたちの側の言い分や疑問も聞いてくれとは言うだろう。

 べナリスは話し合いなど望んではいなかった。ただただ、ともすれば拡散して曖昧になってしまう自分自身を保ちたかっただけだ。デネブルを倒した英雄たる、ウィルトンにもアントニーにも、誰にも影響されないように。

 なぜおれの意識はこんなにも拡散しやすいのだろう。

 べナリスは疑問に思う。

 べナリス自身が気がついていない答えを言うなら、彼が普段からあまりにも外部の出来事に気を取られ過ぎているからだった。

 外部の出来事に注意して、対処する。当然のことで、必要なことだ。

 だが外部にばかり意識を向けてその都度反応するのは、確たる自己を保てなくなる危険もはらんでいる。反応しなくていいことにまで敏感に反応するようになる。

「どうした、べナリス。早く来いよ」

 前を歩く二人のうちの一人が振り返る。一行は林の奥へと向かう。ちょうど母娘を襲った大蜘蛛がいた側の林の奥に。

 ウィルトンたちは、彼らの動きをまだ知らない。

 続く

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片桐 秋
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