ウィルトンズサーガ第3作目【厳然たる事実に立ち向かえ】『深夜の慟哭』第69話

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 ブルーリアに似た女は、しかしブルーリアとは全く雰囲気が違っていた。

「あなた達に言ってあげる。呪われた地下世界は決して解放されることはないの。これ以上は無駄だから地上へお帰りなさい」

 それを聞いて、ウィルトンは思わず 両腕を大袈裟に左右に広げ、ブルーリアを思いとどまらせるような仕草をした。

 眼の前に立つのは、ブルーリアではないのかも知れないが、それでもそのように振る舞わずにはいられなかった。

「何を言っているんだ、ブルーリア。せっかくここまで来たんだぜ。後は妖精たちにこの事実を告げて、なんとか暗黒神ダクソスへの恨みを手放すようにしてもらうしかない」

 女はゆっくりと首を横に振った。

「それは出来ないのよ」

「俺はお前たちが悪いとは思わない。ダクソスが悪い。そう全てダクソスが元凶なんだが、いつまでもその恨みを持っていたら、苦しむのはお前たち地下世界の妖精たちの方なんだぜ」

 口先だけでなく本当に、妖精たちが悪いとはウィルトンは考えなかった。

 だがそれはそれとして、妖精たちがダクソスから心を切り離さなければ、思いを切り替えなければ、いつまで経っても呪われた地下世界は、呪われたままだ。

 ブルーリアの姿をした何者かが再度言葉を発する前に、アントニーが横から口を挟んだ。

「ダクソスは、女神ネフィアルと戦って、深い奈落の底へと封印されました。完全に滅ぼすことは出来なかったけれど、それでも地上は今のようになったのです。確かに苦難もある、理不尽もある。けれど、でも良い事だってあるでしょう。この地下世界も、本来はそういう姿をしていたはずだったんじゃないんですか」

 アントニーの思いは、彼の過去があるだけにウィルトンより痛切であったが、女の態度はにべもない。

「私たちは、恨みを手放すことなんてできない。そうね、ダクソスは女神ネフィアルが深い奈落の底へと封印した。これ以上、私たちがどうすることもない、 そんなことは必要ないわね。 でも人間や、あなたのように、元は人間だった者への思いは別よ」

「まさか、私たちに復讐したいって、そう言うんですか」

と、アントニー。どうか思い留まってくれと願いながら。

「あなたたち二人は私たちのことを助けてくれた。だから特別に許してあげる。でも、恨みを手放すことはできない。人間に対する恨みを手放すことはできないのよ」

「それではあなたも、レドニスのようになってしまいますよ」

「かまわないわ」

 素っ気なく、しかしはっきりとした口調で、ブルーリアの姿をした女は言った。

「おいおい、それは正気の沙汰だとは思えないな。もっと考え直してくれ。冷静になってくれよ。昔、妖精たちに酷い事をした人間たちは、もうみんな死んでしまったんだ。アントニーとデネブルだけは生き延びていた。けれど、デネブルは俺たちが倒した」

 そうだ、デネブルは俺たちが倒したんだ。だからこそ、ブルーリアも俺たちを信頼し、共に戦い、冒険してくれたんじゃないのか?

 ウィルトンは、そう思った。

「他にも生き残っているヴァンパイアはいるかも知れないが、とにかく俺とアントニーに免じて、どうか地上の人間たちを許してくれ。もしもデネブルみたいに悪いヴァンパイアがいるなら、 その時は、力を合わせてまた戦おうじゃないか。それじゃ駄目なのか」

 女は、まだ魔法円の中央に立つその女は、甲高い笑い声をあげた。周囲に響き渡るような哄笑は、しばらくの間そこにいる三人の男たちの耳を打った。

「一つだけ聞かせてください。あなたはブルーリアなんですか? それとも全く別の存在なのですか? そもそもあなたは誰なんですか。地下世界の妖精、なのですか」

「さっきも言ったでしょう。私はブルーリアであってブルーリアではないの」

「どういうことなのですか」

 そう問い掛けながら、アントニーは何かに気がついたような顔をした。ウィルトンと忠実な従者にそっと目配せをする。

「アントニー様?」

 目配せに気がついたロランは、己の主に問い掛けた。

「一つの体の中に二つの異なる人格が存在する場合があると、私は聞いたことがあります。けれど実際にそれを見るのは初めてです。滅多には見ることが出来ないはずです。大抵は思い過ごしですから」

「思い過ごし?」

 ウィルトンは、魔法円の中の女を見て、またアントニーに顔を向け直した。女は黙って何も言わない。

「そうですね、例えば舞台俳優が、演じる役によって態度や口ぶりなどを変えてみせるのと同じようなものなのです。つまり、普段の自分とは違う自分になりたいと望み、それが本当に現実に存在するように思い込んでしまう事があるのです。ただの思い込みなのですが、しかし中には──」

 アントニーは、ブルーリアの姿をした女の方を見た。

「本当に異なる人格が一つの体の中に入ってしまうこともあります。ただ、その場合でも結局は、同じ一つの人格の異なる側面であるに過ぎないのだと私は聞いています」

「なんだって! じゃああれはブルーリアなのか。ブルーリアは本当にそんな風に俺たちのことも恨んでいるっていうのか。だって一緒にこれまで冒険をしてきたんだ。 一緒に戦ってきた。俺たちを信頼してくれていたはずなんだぜ」

「ブルーリアさんお願いです。どうか目を覚ましてください。でも、人間たちのこと、過去に僕たちがしたことを許してくれと言っても、そう簡単にはいかないでしょう。あなたたちのためなんだなんて、そんなのはくだらないおためごかしに聞こえますよね。だって僕たちは、あなた達に害を与えた人間か、もしくはその子孫なのですから。たとえ恨みを手放せばあなたたちが楽になるのが事実だとしても、僕たちにそれを言う資格はないのです。それに」

と、ここでロランは言い淀んだ。

「それに恨みを持って生きるのも、それもまた人生です。それは辛い人生に思えますし、幸せにならない人生に思えるけれど、究極、僕たちはあなたに強制することはできない。僕たちがあなたにとっての幸せだと思うような幸せになってくれと、強制することはできない。あなたがどうするかは、あなた自身が決めることだからです」

 しばし沈黙が流れた。女はまだ黙っていた。黙ってロランの顔を見つめていた。

続く

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片桐 秋
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