英雄の魔剣 16
「あはは」
ハハハハハと、がらんどうの室内に嗤(わら)いが響く。
「何がおかしい、アンフェール」
アレクロスは詰問した。セシリオの防護の魔術が効いているのを感じる。これまでになく闘志が湧いていた。
「これはなかなか笑えるな。マルシェリア、君が人間と協力し合うとはね」
「馴(な)れ馴れしい口を利くでない」
マルシェリア姫はキッとなってアンフェールを睨(にら)みつける。そのような表情でもなお美しく品がある。
だが、マルシェリア姫がアンフェールの容姿にも立ち振る舞いにも心動かされぬのと同様、アンフェールもまた美女の姿に表情を変えもしなかった。マルシェリア姫にも、サーベラ姫にも。真に冷徹な者とは、そうした者なのだ。アレクロスはそれが分かっていた。
「魔術師、剣を強化しろ」
叫んでアンフェールに立ち向かう。ここでセシリオの名は呼べない。アンフェールにまだ正体を明かしたくはなかった。
アレクロスの突撃はかなり速い動きであるが、セシリオの魔術は間に合った。間に合うと、アレクロスは確信していた。
「随分(ずいぶん)と張り切っているな。美しい女二人の前だからか」
「違う」
ここは断固として。
アンフェールは大鎌を振るった。魔剣と大鎌がぶつかり合い、交差したまま互いに押し合う。どちらの側も押し返せずに、そのまま静止。互いの武器は小刻みに震(ふる)える。
「そうだな、貴様は騎士道を身に着けているようだ。女に対して欲はあっても、それに振り回される愚か者ではあるまい」
アンフェールはにやりと嘲笑う。顔立ちが端麗で貴公子然としているだけに、なおさらに嫌らしく腹立たしい。
「だがそれでは不十分なのだ。マルシェリアを信じるのは、なるほど、確かに一応筋は通っている。だがそれは後付けの理屈ではないのか。本当は単に、マルシェリアが貴様らの目から見て美しいからではないのか。そこの女でさえも、女の魔物の見た目に騙(だま)されるだろう。まして」
「違う」
サーベラ姫の魔弓からの矢、マルシェリア姫の白い光の矢が飛んでいる。全てアンフェールに届く前に消滅した。アレクロスは内心で舌打ちしたい思いだった。
「違わないな。お前は男だ。若く、血気にあふれている。女に欲を全く感じずにいられるわけはない。出来るのは、せいぜい自制すること。そうではないか」
「違う」
「いいや、違わない。今、それを思い知らせてやろう」
精神への攻撃か。アレクロスはそう推測した。
「精神を、頼む」
その指示が飛ぶ前に、親友は精神への防護の魔術を掛けてくれた。それは間に合ったのだ。しかし。
「貴様の心底の願望を顕(あらわ)にしてやろう。常に理想を追い求めてきた貴様の、心の底に隠した真の願望をな。そうだ、われは貴様の本性が、高潔な精神を持つ人間の本性が見たい」
「そんなことをして何になる。それに俺は高潔ではない。最低限、人としての理(ことわり)を持っているだけだ」
「その理を脱いだ後に何があるのか。さあ、試してみよう。サーベラ姫より良い女を見せてやる」
なぜその名を知っている。
アレクロスは愕然(がくぜん)とした。こいつは俺達の正体を知っているのか。
次の瞬間、アレクロスは闇に包まれた。その次の瞬間には、再び光があった。光の中に美しき少女がいた。少女といってもかなり大人びている。月の光と真冬の陽光を混ぜたような淡い金髪に、翠(みどり)がかった青の瞳。淡い金髪は長く腰までもあり、肌はきめ細やかで抜けるように白い。すらりとした姿。洗練された優雅なしぐさ。およそ人間の少女とは思えず、まるで妖精かと思われるほどの優美。
アンフェールが見せた幻覚の中で、少女はアレクロスに助けを求めた。少女は賢く育ちも良いが、全く無力な存在であった。サーベラ姫と違って。
そう、サーベラ姫と違って。
「王子殿下、どうかわたしをお助けください。他には頼れる人はいません」
少女は鈴を鳴らすように澄んだ声をしていた。その声も今は弱々しい。
「大丈夫だ、助けてやる。何があったのか」
少女は震える手を伸ばしてきた。王子はその手を取った。
その時に気が付いた。
そうだ、俺は本当はサーベラ姫をどこか疎(うと)ましく思っていた。女でありながら、兄のセシリオと遜色なく優秀な魔術師。第一公爵家の令嬢として、正王妃候補の筆頭格である。セシリオとはまた違った意味で、肩に重荷を背負わせる存在だった。アレクロスにとってサーベラ姫はそうした存在であった。美しい貴族の娘ではなかった。そう、この魔性の武具を身に着けるまでは。
だが、今こうして眼前に立つ少女は違う。
無力な女。決して劣等ではなく、それなりに頭もよく身体も健康ではあるが、サーベラ姫ともマルシェリア姫とも比べものにならないほどに無力な娘。
そうだ、『これ』が俺が求めていた『モノ』だ。
他の人間との比較ではどうだか分からない。だが俺と比べれば遥(はる)かに無力なのだ。アレクロスはそう思う。魔性の武具を身に着ける前の俺よりも、さらに。
「ああ、そうだ。それこそが貴様の願望だ。性欲よりも大きく御(ぎょ)しがたい欲望。なぜ御しがたいか分かるか。貴様はそれを欲望だと思わず、むしろ美徳だとさえ思ってきたからだ」
アンフェールの声が響く。それは、今のアレクロスの耳には入らなかった。