【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ3作目『深夜の慟哭』第27話
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ブルーリア、それは出来ない。
静かに時が流れる。妖精の世界は、人間の世界とは時間の流れが違うと聞いたことがある。この地下世界もそうなのだろうか。
「ブルーリア、俺を地上に返してくれ。呪いのことなら何とかする」
ブルーリアは、それには答えず、
「アントニーも、あなたの妹もここに逃れたらいいわ。あのお人形さん、ロランと言ったわね、彼にも、人間の身体を与えてあげましょう。アーシェルは知らないわ。どうなろうと、知ったことではない」
と告げた。
「俺の妹は」
アーシェルに嫁がせようと考えていた。もちろん、妹の意思も大事だ。無理に貴族の妻にしようとは思わない。
それにアントニー。彼は月を、ルビーと白銀の月を見ていたいだろうに。太陽の光には弱い彼でも、月や星は好きなはずだ。
ロランはどう思うだろう。ブルーリアはどうやって人間の身体を手に入れるつもりなのか。
「ここは安全な隠れ家になるだろうな」
もしも呪いが解けたら。しかし。
「呪いを解いてよ。そうしたら私は」
ブルーリアはウィルトンの首から両腕を離した。彼の手を取り、自分の柔らかな胸に押し当てる。
「そうしたら私は、あなたのものになるわ」
それだけで、頭の芯までしびれるような快感が走った。
「ここで老いることなく暮らしましょう。あなたに、あの新種のヴァンパイアにも負けない長寿を与えるわ。私には、それが出来るの」
老いることなく、長寿を得られたなら。アントニーとも、ずっと一緒にいられる。アントニーを、もう独りにはしないで済む。
妖精は微笑んだ。繊細な造形なのに彫りの深い顔立ち。赤い唇がウィルトンの顔に近づく。
そうだ。彼女と共に暮らすんだ。それで何が悪いだろう。ややこしい地上の勢力争いや政治なんてどうでもいい。ウィルトンは思う。
それは本当に彼自身の思いだったのか。脳内に侵入してきた別の者の思考なのか。
「アントニー? そうだ、アントニーは何処だ? まだ地上にいる。彼もここへ呼んでくれ」
また眼前の情景がぼやけた。ブルーリアの姿も薄れてゆく。肩と首すじに触れていた手の感触もない。
「ブルーリア?」
驚いて名を呼ぶ。気がつくと、そこはまた地上だった。太陽は高く、昼間になっているのが分かった。
太陽は天高くにあり、ウィルトンは柔らかな草の生えた地面に仰向(あおむ)けに横たわって、空を見上げていた。
「ようやく気がついたのですね」
「アントニー? ここは」
「妖精を見つけた場所から動いてはいませんよ。あなたは気を失っていたのです」
アーシェルも、アントニーの背後からウィルトンの様子を覗き込む。
「よかった、無事だったのですね」
ウィルトンは起き上がった。腰から上を起こし、足は地面に伸ばしたままだ。
「アーシェル殿、俺はどうしていたのですか?」
「アントニー殿の言われる通り、気を失っていましたよ」
「妖精は?」
アントニーを見た。
「あなたが気を失うと、姿を消しました」
「そうか……」
ウィルトンは、黒い妖精から聞いた話を二人に告げた。
「なるほど、あなた方を地下世界に、ですか」
「呪いとは何なのですか? アーシェル殿、あなたからそれを聞きたい」
「地下世界には、古王国よりも前の時代である『法の国』があった時よりもさらに前に、呪いが掛けられたのです。暗黒の神ダクシスが呪いを掛けました」
「それはアブライ語が使われていた時代ですか?」
と、ウィルトン。
「そうです。我々が今、神々と呼ぶ存在が、この地上に存在していた時代です。世界は、あらゆる生き物は、そして人間は、アブライ語によって創られ、そして滅ぼされた」
「そしてまた復活しました」
アントニーが静かに言った。アーシェルはうなずく。
「そうです。復活の後に、暗黒神ダクシスは、アブライ語で人間に呪いを掛けました。その呪いを地下世界に封じ込めたのが、正義と公正なる裁きの女神ネフィアルなのです」
ウィルトンは首を左右に振って、頭をはっきりさせようとした。
「何となく、聞いたことはあるな」
「我が女神ネフィアル。私は神官ではないけれど、私は正義と公正を信じている。妖精たちの多くはネフィアルに従うのを良しとしなかったために、ネフィアルの力が及ばず、地下に留まったのです。でも地上に逃れて、ネフィアル神官の使い魔となった妖精もいます」
「そうか。でもネフィアルに従わなかったからといって、邪悪なわけではないんだろう?」
「それはそうですよ。妖精たちはダクシスに従うのも嫌でした。ただ自由に、中立でいたかったのです。それが逆に災いしました」
「なるほど。ダクシスには呪われ、ネフィアルからは助力が届かなくなった、と」
「はい、光の側の女神は、相手の自由意志を尊重し、無理に従わせようとはしなかったのです」
ウィルトンは、アントニーの冷静そうな顔を見てため息をついた。
「それは……お前の女神を悪く言うつもりはないが、その場合は、無理にでも従わせるべきだったんしゃないか?」
ウィルトンはブルーリアの姿を思い浮かべた。あの妖精たちは、数千年を呪われた地下世界に閉じ込められていたのか。そう思う。
「ええ。『法の国』の時代にも、そう考える人々はいましたね」
ウィルトンはうなずく。
『法の国』のやり方か。世界に及ぼせ。女神のもたらす力を。
そうやって世界を征服し──
ウィルトンは二度目のため息をついた。
「分かった。この話は後にしよう」
槍は彼の手元にちゃんとあった。古い木で出来た柄を握る。しっかりと手に馴染む。穂先は銀色に、陽光を反射して輝いている。槍を杖のように支えにして立ち上がる。
「今はその話は無しだ。なあ、アントニー、お前は地下世界の呪いを解いて、俺や俺の妹のオリリエとそこで暮らしたいか?」
今気になるのは、それだけだった。妹はアーシェルに嫁がせるつもりだったが。妹はどう思うだろうか。
続く