【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第25話
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風上に近づくにつれ、風は強くなってきた。とは言え、嵐のように強いわけではない。向かい風だが、三人が馬を使わず徒歩で歩いたとしても、何ら問題なく進める程度のものだ。
「唸り声が聞こえる。ようやく俺にも聞こえるようになった」
「他にも誰かいます」
ウィルトンは、アントニーの方を見た。
「誰かって?」
「さあ? 誰でしょう。多分、一人だけです。人間のものらしき声が聞こえます。何かを、命じている、犬に」
「犬に? 人間が?」
「あるいは人に似た魔族かも知れませんね」
「あるいは、ヴァンパイアかも知れない、わけか」
「そうですね。朝に出歩けないわけではありませんので、その可能性はあります」
「デネブルが滅びた後に太陽が登ると、多くの配下だった旧種のヴァンパイアも滅びた。けれどまだ生き残りがいるのか」
「いるでしょう、少しは。残念ながら、ですが。しかし、旧種は私よりも太陽の光には弱い。朝や昼のうちなら、我々の敵にはなりません」
「そうだな」
そこでアーシェルが言った。
「あなた方のおかげでデネブルが滅びて、太陽が照らしてからは、この地でヴァンパイアを見てはいません」
「そうですか」
ウィルトンは答える。アーシェルは、エレクトナもまたヴァンパイアであるのだと知らないのだろうか。
人間とヴァンパイアの間を行き来する存在。ウィルトンも知らなかったのだ。何故そのようになったのかも。
令嬢を信用することに決めたために、向こうから話してくれない限り、深くは立ち入らないことにした。だが、本当にそれでよかったのか。
一行は、それきり黙ったまま馬を進めた。アーシェルは剣を抜き、ウィルトンは槍をかまえている。
やがて人影が見えてきた。向こうはまだ、こちらに気がついていないようだ。
「さあ、どうしますか?」
「先に魔術で撃ってくれ」
「まだ敵だと分かったわけではありませんが、いいのですか?」
「だって、おかしな野犬どもと一緒なんだろう?」
「ええ、そのようです」
「なら、かまうことはない」
「分かりました」
まだ何か言うかと思ったが、アントニーはあっさりと承諾した。
次の瞬間、『氷の嵐』が荒れ狂う。ウィルトンとアーシェルの、人間の目ではよく見えない向こう側に。
続いて『火炎』が渦巻く。冷気と熱気の二段攻撃だ。敵がどちらを弱点にしているにせよ、かなりの打撃があるはずだった。
「ずいぶんなご挨拶ね」
女の声だった。低い音程の、艷やかな声だ。
ウィルトンは頭上を見上げた。『火炎』の消えた後に人影はなく、声は上から降ってきたのだ。
女の姿は見えない。
「これは呪いよ。この地を覆う呪い」
「何だって」
女の声に敵意は感じられない。女の姿も、どんな表情をしているかも分からない。もしも女の顔が見えるなら、余裕ありげに微笑んでいるのだろうと思う。
「アントニー」
ウィルトンが魔術でどうにか出来ないかと呼び掛けると、盟友は首を横に振った。彼はむしろ地面を見ていた。地面と、わずかに視線を上げて左右を。背後にはアーシェルがいて、アントニーの背後に気を配っていた。
「あんたは何者だ?」
また見上げて単刀直入に訊く。
「あなた達は知らないわね。この地に呪いが掛けられているのを。そこの貴族の坊やはそれを隠している。何故デネブルが滅びて後もまだ呪われた犬の群れが人を襲うと言うの? この土地そのものに呪いが掛けられているからなのよ。そして、それはデネブルのせいではないわ」
「デネブルのせいじゃない?」
ウィルトンは思わず繰り返した。女の声が告げるのを鵜呑みにするわけではないが、確かにこの土地にこれだけの呪われた野犬が出没するのはおかしい。
「お前は何を知っているんだ?」
「アーシェル殿、それは本当ですか?」
アントニーは、アーシェルの方に問い掛ける。
「確かに呪いは残っているが、それは」
アーシェルは、アントニーに対してではなく、女の声に向かって叫んだ。
「言い訳をしても無駄よ。あなたはこの人達を騙(だま)すつもりだったのでしょう。でなければ、すでに打ち明けていたはずだものね!」
次に、女の声は哄笑した。甲高い、大きな笑い声が空に響き渡る。
「そういうあんたは何者なんだ?」
ウィルトンは二度目の問い掛けをした。
「あんたが何者かも分からないのに、あんたの言うことを信用は出来ないな」
「私? 私は呪いの娘。この土地が呪われたのは古王国の時代からよ。デネブルに支配されるずっと前からね。デネブルは、ただそれを放置していただけ」
「放置していた?」
ウィルトンはアントニーを見る。
「何か知っているか?」
「地下の空間から滲み出た呪いなら、各地にあった、いえ今でもあるのでしょうが、ここにもあったとは知りませんでした」
「ずっとここにあったんじゃない! 呪いは復活しただけだ。また封じる。それしかないのです」
アーシェルが叫んだ。初めて見せる動揺した姿だった。
「さあ、来てよ地下へ! 私たち呪われた妖精の住処(すみか)へ!」
声の主は、ここで初めて姿を現した。
ウィルトンたちの眼前に、この上なく美しい女が立っていた。
深い青色の髪と瞳に、黒黒とした肌の妖精だった。
続く