漫画『デスノート』から着想を得た話と長文タイトル
この漫画が大ヒットしていたのも、00年代のことで、かれこれ20年ほどが経つ。週刊少年ジャンプに連載されていた異色作『デスノート』についてと、そこから自作がいかに影響を受けたのかを、今回は語りたいと思う。
『デスノート』は『名前を書くだけで人を殺せるノートを拾った少年が、新世界の神として世界に君臨するために殺戮と頭脳戦を繰り広げる物語』である。
ネタバレ長文タイトルだが、あまりベタッとした感じには、はならずに済んだ。
ただ、これだと結末がどうなるのかは不明なままであるが。
この漫画が流行っていた頃にネットで様々な感想や意見を聞いて思ったのは「主人公サイドと敵サイドで、それぞれの正義があり、対立を続け、最後までどちらが正しいのかは分からずに終わる物語」は一定の需要が望めるということだった。
まあ少なくとも、『デスノート』読者のかなりの数がそれを望んでいたし、私もその一人であった。
そうではない人々、「主人公の月は明確に悪として報いを受けるべき」と考える人々も、その理由の多くは「結末をはっきりさせてほしいから」ではなく、月のした事が許せないからであった。
なので、主人公がしたことの悪辣さの度合いを大幅に減らせば、きっと少なからぬ需要が見込めると私は考えていたのである。
月のどのあたりが許せないのか、反対に魅力を感じたり応援したくなるのは何故か、それもネットでたくさんの意見を収集した。
『復讐の女神ネフィアル』は、『デスノート』からのみ着想を得たわけではないが、かなりの程度に影響は受けている、と思う。
ただ、誤算だったのは、そうした需要は漫画の世界にはあっても、近年のライトノベル、特にウェブ小説の世界にはほとんど無いということである。
まあ、そんなわけで数年を遠回りしたが、今となっては書き溜めた小説版は漫画の元ネタにできるので、それはそれで良しである。
ちなみに、長文タイトルにすると『ブルーロック』の場合は『日本の男子サッカーワールドカップ優勝のために、エゴイストのストライカーだけを集めたブルーロック(青い監獄)で、世界一のストライカーを目指して息詰まる熱戦が繰り広げられる物語』である。
たぶん、『ブルーロック』の場合は、主人公中心のログライン(ざっくりしたあらすじ)にしないほうがいいのではないかと思う。
個人的な考えとしては、『ブルーロック』の裏の主人公はエゴコーチで、何ならブルーロックという舞台そのものだと思っているのである。
いや、ちゃんと潔世一は主人公らしく活躍しているんですがね!
さて、今回はここまで。
読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。