【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ3作目『深夜の慟哭』第30話
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アントニーは答えた。慎重に、ゆっくりと一言一言に力を込めるように。
「ウィルトン、そんなことは考えてはいけない」
「何故だ?」
ウィルトンは聞き返してきた。貴族、それも領主の暮らしが必ずしも庶民の暮らしよりも安楽とは言えないのはウィルトンも知っているはずだ。今よりは贅沢も出来るだろうが、裕福な暮らしには責任がともなう。
「私はもう領主にはなりたくありません。ましてセンド殿をその地位から追うなどとは」
「ですが、センド殿も先が長くはありませんからね」
アーシェルは、またしても冷淡とも言える言い方をした。よほどセンドに対して隔意があるのだろうか、と思う。
ふと、ひらめく。エレクトナは、外交のためにアーシェルによく会いに来ていたと言っていたが、その実話し合いの内容は、センドをその地位から追い払うことだったのではないか、と。
「アーシェル殿はずいぶんとはっきりおっしゃること」
エレクトナは笑った。上等の硝子を打ち合わせるように、澄んだ声だと思えた。
「では、私(わたくし)もはっきり言わせていただきますわね。アーシェル殿のお祖父様は、大した敵ではありませんわ」
「え? だって俺たちはそのためにここに来たのですよ」
「ええ。アーシェル殿をお味方にしなくてはならないのは、私が言った通りですの」
味方にすれば、もはや自分の祖母もアーシェルの祖父も敵ではない、か。アントニーは考えた。二人ともまだ若い。二十を数年過ぎたくらいの歳だ。
老人の古い考えを疎(うと)んじる気持ちは分かる。アントニーにとっては遠い昔の話だが、今でもそんな気持ちは分かる。
アントニーのそんな思考を読んだように、
「デネブルを倒してからの変化を嫌う老人がいると、向こうの領地内で宿の主人から聞いたよ。そんな話はないぜ。俺たちは何のために戦ったんだ」
と、ウィルトンが言った。それに対しアーシェルが、
「その変化は、単に人々の交流が盛んになり、太陽の光を浴びることで活動が活発になるだけではありません。つまり、あなた方の存在そのものが含まれています」
と、冷たく言った。その冷ややかさは彼の祖父とセンドに向けられているのだろう。
ウィルトンはアントニーを見て、また隣に座るアーシェルに視線を戻した。それからエレクトナに、
「だからこそ、アーシェル殿を味方にして、アーシェル殿のお祖父様を説得していただくだけではなく、彼らを権力の座から追い払わなければならないと言われるのですね」
と言った。それは問い掛けではなく、確認である。
「その通りですわ」
エレクトナは先に運ばれていた、温かい薬草茶を口にした。カップは磁器ではなく、より安価な陶器製だが、かなり質は良さそうである。野の花の可憐な絵付けが表面に見える。
「とても美味しいですわ」
「そう言っていただけて、ありがたいですよ」
アーシェルは微笑む。
アントニーには薬草茶の香りを嗅ぐだけだが、それでも温かさは感じられる。人間であった頃、感じていた温かさの残滓だ。
「私が半ヴァンパイアになっても、両親は驚きませんでした。私の家系には、時々出現するのです。でももう、まともなところへは嫁にやれませんわ。両親には、私しか子がいませんの」
「それでは」
ウィルトンは何かを言いかけて止めた。
「ええ、祖母は貴方を、私の婿に迎えようとしていますの。でも、それはお嫌でしょう」
「嫌、なわけではありません。しかし俺は……。いや、アントニーはどうなるのですか?」
「半ヴァンパイアが生まれる家系でも、むしろそれだからこそ、完全なるヴァンパイアへの忌避がありますの。一つには力と不老長寿への妬み、もう一つは恐れですわ。新種であり、また我々を救ってくださった英雄が相手でも、それは変わりませんの」
「それでは、アントニーをどうしようとしているのですか?」
「どうにかして追い払うつもりですわね。祖母の領地からだけではありませんわ。デネブルが支配していた一帯から、です」
それを聞いてアントニーはうつむいた。覚悟はしていたが、あらためて聞くといささかは衝撃がある。
「何故だ?! 何故、アントニーが」
「落ち着いてください、ウィルトン殿。もはや私の祖父アンタラスも、私の説得は聞かないでしょう。センド殿も同じく。ならばかくなる上は」
「まさか、センド殿を殺せとおっしゃるのではないですね?」
恐る恐る訊いてみる。エレクトナもアーシェルも、そこまで冷酷ではないだろうが、事が進めば事態は思いもよらぬ様相を見せてくるかも知れない。それが、アントニーには恐ろしかった。
「センド殿は……エレクトナ殿、あなた方の先祖は代々、私が地位を追われた後の領地を治めてくれていました。今になって奪い返すような真似はしたくないのです」
「そんなこと、お気になさらないで。ねえ、お祖母様も、もうお歳ですのよ。そろそろ、引退して休んでいただかなくては」
アントニーはエレクトナを見た。邪気のない笑みが浮かんでいる。
そうだ、センドはもう高齢だ。頼りになる後継ぎは、エレクトナしかいない。
ならば。
アントニーは思案した後、ウィルトンに言った。
続く