多数派に受け入れられた、その先
創作で多くの人に受け入れられたいと思い、それが実現した先はどうなるのか?
知識や技術の不足で、まだまともに形にできなかったり、あまり多くの人には気に入られそうもないような、非常にニッチな好みを持っていたり。
そうなると課題は、いかにして多数の人々に受け入れてもらえるような創作物を作れるか? になるわけだが。
問題は受け入れられたその先で、結論から言うと、ある程度の数の人に気に入られたとしても、どうしても気に入らないと言う人はいるわけだ。それもきっと、少なからず。
なぜなら、人気のある作品は多かれ少なかれ、強い個性を持っているわけで、それは魅力にもなれば苦手要素にもなり得る。
それは、いわゆる『無力透明の名作』でも同じことで、無色透明であるがゆえに、あまり強くは刺さらない場合が多い。
私は、とにかく多数派に受け入れられさえすれば万事解決するかのように言うのは欺瞞だと思っている。
特に、大手のウェブ小説投稿サイトの世界で、自分の小説が受け入れられないままでいると、病むと言われているが。
受け入れられて、ウェブ小説の書籍化(商業出版)を果たしても、まあ何というか、あまり幸せそうに見えない方々もいる。
受け入れられたいのに、受け入れてもらえなければ、まあ愉快ではなかろうとは思う。
でも、問題は受け入れられた先である。受け入れられたのに、別なところでは受け入れられない。それがあるからだ。
ウェブ小説の主流派、まあなろう系と言うのかな、それはよく馬鹿にされると言われている。残念ながら、それは事実のようだ。
だとすると、ウェブ小説の世界で受け入れられれば、受け入れられるほど、別な場所ではかえって受け入れられない事態が発生する。
それは一種のジレンマかな?
『進撃の巨人』で、登場人物の一人が「人の言うことを信じても、自分で決めても、どちらを選んでも大して結果は変わらなかった。だから好きな方を選べ」といった意味合いのセリフを言うらしい。
まだそのシーンまで読んでいないが、名言だなと思ってしまう。
そんな事を考えた。、
では今回はここまで。
読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。