ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第51話

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 ウィルトンとアントニーは、二人並んで駆けてゆく。

 ロランのいる場所に着くと、ロランは二人に背を向けて走り出した。

「こちらです!」

 子どもの人形の姿をした従者。彼の声からも動き方からも、緊迫した思いが伝わってくる。

「まさか魔法が使えないから、なのか?」

「ええ、きっと」

「まさか、こんなにすぐに悪くなるなんて聞いてないぞ」

「ブルーリアは無理をしてくれたのですよ、我々のために。洪水からの避難なら、あの大岩の上で水が引くまで待っていればいいだけでした」

 幸い、ブルーリアを近くで見つけることが出来た。淡い青の花々の咲き乱れる上に倒れていた。

 青く清楚な花々を弔花として、今にも埋葬されそうにさえ見えた。

「ブルーリア、しっかりしろ!」

 深い青の髪と、なめらかな黒檀のような色の肌の妖精は、わずかに身動(みじろ)ぎした。

「動けないのか?」

 彼女はうなずく。その動きもぎこちなく、ふるえるように弱々しい。

「よし分かった。俺が背負って運んでいく。それでいいな?」

 ブルーリアは再度うなずいた。

 アントニーが手を貸して、ブルーリアをウィルトンの背に乗せた。妖精の腕の力は弱まっていて、ぐったりとしている。

 ブルーリアの両手首を、ウィルトンの胸の前に回し、持っている紐でくくりつけた。

 こうして、ブルーリアがウィルトンの背から落ちないようにする。

「よし、ありがとよ。じゃあここから出るぜ」

 荷物を置いていた場所に戻り、そこから出口を目指す。ロランは、背負い袋に入れられた。英雄二人は、小走りになって急ぐ。

「あそこです」

 大岩とその中にくり抜かれた坂道が見える。三人で下りてきた通路だ。

「あの中に入れば大丈夫か?」

「そうよ……」

 ブルーリアは、かろうじて答えてくれた。ウィルトンは更に足を速める。妖精は軽く、ロランと同じくらいの子どもの重さにしか感じられなかった。

 全力での疾走に近い速さにする。後ろからアントニーが続く。

 下り通路のある大岩には、すぐにたどり着いた。

 中は入ってきた時と同じく、荒削りの通路だ。巨大な大岩の中を、ゆるやかに螺旋を描く坂の通路が掘り抜かれているのだ。

「ありがとう、もう大丈夫よ」

「下ろしても大丈夫か?」

「ええ、自分で立てるわ」

 ブルーリアは言葉の通りにした。やや足元がふらついている。ウィルトンは、手を貸した。妖精は彼の手を取り、魔法の力が詠唱も動作もなく、自然と全身に行き渡るのを待っていた。

「もう、大丈夫よ」

 その通りに見えた。彼女は再び生き生きとして、その髪と同じ深い青の目にも、生気が宿っていた。

「ありがとう、ブルーリア。お陰で楽しいひと時を過ごせたよ。でもあんたには負担を掛けてしまった」

「いいのよ。あなたちは、私達の地下世界を救ってくれるのだから」

 ブルーリアの顔には温かい笑みが浮かんでいる。ウィルトンも彼女に微笑み返した。

「人間にとってはいい場所です。それに、新種のヴァンパイアにとっても」

 アントニーはそっと言葉を吐き出した。不吉な思いを吐き出すように。

「地下世界全域があのようになるのなら、自分たちこそがそこで暮らしたいと、そう思う人間も多いでしょう。今からそんなことを考えるのは、早過ぎるかも知れませんが」

「大丈夫よ」

 ブルーリアは、これで何度目になるか、また大丈夫と口にした。

「何故です?」

「地下世界の呪いが解けたなら、招かれた者しか入れなくなるからよ。私はそう聞いたわ」

「そうなのか! まさに夢のような土地だ」

「そうなのよ。退屈さえ、しなければね」

「退屈か。妖精も退屈すると思うか? ブルーリアは?」

「するかも、知れないわね」

 ふふ、と青い髪の妖精は笑う。どこか艶(なまめ)かしく妖しく。

「退屈したら、どうする?」

 ウィルトンは問い掛ける。ブルーリアだけでなく、アントニーに、そしてロランにも。

「私は退屈などしませんよ、ウィルトン。そうですね、時間が出来たらやってみたいと思っていた事をしたいのです」

 アントニーは遠くを見る目をした。まるで懐かしい、失われそうな思い出をつなぎ留めようとするかのように。

「何をやりたいんだよ?」

 ウィルトンは、俄然(がぜん)関心を持った。

「詩や絵を描きたいのですよ」

「おお、芸術家になるんだな!」

「そんな大げさなものではなく、そうですね、自分の想いや、心の目に見えたものを表現したいのです」

「そうか! 俺も見てみたいな。ただ、俺は無教養で、詩も絵画もよく分からないんだ。きれいなものはきれいだと分かるが、それだけじゃ駄目なんだろ?」

「何でもあなたの素直な感想をください。それでけっこうですよ」

「よし、分かった。楽しみにしているぞ!」

 ブルーリアは、アントニーの背負い袋の中から、顔だけを出しているロランに向って尋ねる。

「あなたは? ロラン」

「僕ですか? 僕は……やっぱりアントニー様のお役に立てるようになりたいのです。詩や絵のことも学ばなければなりませんね」

「そう。ここには人間の世界の本はないのよ。呪いから解放されても、それはないのよ」

 ウィルトンは目を丸くした。

 本がない! それは由々しき事であると思われた。

「本がないのは駄目だな。たまには地上に帰って……ああ、そうだ。人間の暮らす地上もこれからは変わってくるんだ。物流、交流が盛んになる。本だって、遠くからいろんな物がやってくるんだ」

「そうですね。そしてセンド様はそのような急激な変化をお望みでない」

「センド様の好むような物もやって来るとしたら? お好みの物は何だろう?」

「やはり、本でしょうね」

「そうなのか?!」

「そうですよ。革張り装丁で羊皮紙の立派な御本。庶民の、草を乾かして重ね合わせて作られた紙とは違う物ですね」

「なるほど、贅沢なやつだ。だけどご領主様には相応しいだろう。それも遠くの国々からやって来る!」

「ええ、そうです」

「俺も欲しいな」

「私もですよ」

 ブルーリアはその様子を見て言った。

「人間はなぜ過去を記録するの? 自分の心に留めておけないからかしら。私の中には、曽祖父や曾祖母の代から伝えられてきた記憶があるの。呪われる以前の土地の話は生きているわ。口伝えに、今でも自分自身の記憶のようにね」

「過去の記録、歴史だけじゃないさ。物語もある。架空の話だな」

「架空の話って面白いの? 私には分からないの。私は地上に出て、星や花を眺めるのよ。冬には雪も。朝焼けや夕暮れの空も。みんな綺麗だわ。自然が与えてくれる以上の物を、人間は作り出せるのかしら」

「作り出せないし、創り出せるとも言えるさ。自然にはない物も見たいんだよ。本の中の物語も、絵画も詩も」

「そうなの? 現実にある物は描かないのかしら?」

「現実にあるものを描いたって、それぞれの、その人なりの受けとめ方がある。それを、みんなに伝わるように出来るんだ。同じ夕暮れの空も、違うように見えているし、表現したいんだよ。それを他の人にも分かるようにするんだ」

「そうなの」

 ブルーリアは、また笑った。今度は子どものように無邪気な笑い方だ。

「人間って、面白いのね」

 そう言うと、先に立って坂を登り始めた。ウィルトンたちは、後からついて行った。

続く

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片桐 秋
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