ウィルトンズサーガ3作目『深夜の慟哭』第72話
三人は立ったまま黙っていた。すでに完全に霧は晴れ、魔法円の中には誰もいなかった。
「ブルーリアさんは姿を消してしまいましたね。どこに行ってしまわれたのでしょうか」
「霧が晴れるまでに、しばらく掛かったからな。きっとどっかにいるさ」
「けれど探すことはしないんです。そうですよね、ウィルトン」
「そうだよ、彼女が放っておいて欲しがっているんなら、そうさせてやるさ。どの道もう俺たちに出来ることはここで終わりなんだ。あとは彼女次第だ」
ウィルトンは、やはり今でも淋しい思いであったが、振り切れてはいた。もう未練はなかった。続けて、
「彼女は俺たちへの約束を果たしてくれた。その約束の中に、彼女が俺たちと親しく、いつまでも仲間でいるということは含まれていなかった。そうなるのが当然だと思い込んでいたのは、俺たちの思い違い、単なる勝手な期待に過ぎなかったってことなのさ」
と、旅を共にしてきた二人に言った。
「その通りですね、残念ながら。でも私は、私が信じるネフィアル女神に祈りたい。彼女の心が安らかならんことを、と」
「正義の復讐を行ったとしても、ブルーリアの心が晴れやかになるとは限らないのにか?」
「ネフィアルの女神の力を借りた復讐ではなかったけれど、ブルーリアの復讐は果たされました。デネブルは我々二人が倒し、ブルーリアと共にレドニスも倒しました。これ以上私たちにできることはないのですよ」
アントニーはそっと上を見上げた。地下世界に空は見えない。だが明け方の光のように、黄金色と薄紫、藍色、薔薇色の入り混じった上空の様子は美しかった。
ヴァンパイアの青年は続けて言う。
「何かをしたならその責任を取らなければならないし、もしそいつが責任を取ろうとしないのであれば、無理にでも取らせなければならないこともあるでしょう。でもそれと、受けた傷が癒されるかはまた別の物語なのです。残念なことですけどね」
ウィルトンは頷いた。彼はゆっくりとその場に腰を下ろした。花々が咲き乱れる、微かな香りの良い風が優しく顔をなでてゆく。
「そうだな、でも俺たちはやっぱりデネブルを倒さなきゃいけなかったしレドニスも倒さなきゃいけなかった。もちろん、きっと誰かの怨念が凝り固まって出来たのであろう、あの三つ頭の魔犬もだ」
ここでロランが、そっとウィルトンの気持ちを落ち着けるように言った。
「何だか少し疲れました。お二人はどうですか? ここまでやってきたのです。少し休みましょう」
「そうだな、こんな、もっと南国の春の盛りのように美しい景色の中では、うっかり眠くなっちまいそうだけどな」
「本当に眠りますか? いろいろあったのです。少し休んでもいいでしょう。それから、地上の事も考えなくてはなりません。あなたの妹の事、そして、今のご領主のゼント様の事もです」
ウィルトンは、思わず首を横に振った。
「やれやれ、そうだな。まだその問題が残っている。正直なところ、領地を治める問題は、ゼント様と孫娘のエレクトナ様に任せたいが、隣の領地はむろんアーシェル殿に。しかしそうも言っていられないか。妹の事もあるしな。それにエーシェルの体をもらった事も」
アントニーは頷く。
「そうです。我々は、いったんは地上に帰らねばなりません」
「帰り道、分かるか?」
「だいたいは真っ直ぐに歩いてきたのですよ。地上への出入り口もすぐに見つかります」
「よし、そうだな。なら、今は休むか」
「僕たちはつい先ほど、起きたばかりだったのですよね。地下世界に来てからも、それほど時間は経っていません。何だか、とても長い時を過ごしたような気分ですけれど」
「そうだ。長い時を過ごしたような気がする」
ウィルトンは、そう言ってごろりと横たわった。柔らかな緑の草の上だ。小さくて可憐な花も咲いている。黄色や紫、それに薄紅色の花が。
「妹のオリリエに摘んで帰ってやりてえな。押し花にすると長く保つ」
懐かしむかのようにつぶやき、ウィルトンは目を閉じた。
「お前も休みなさい」
「アントニー様は、いかがなさいますか」
「ロラン、私のことは心配しなくていい。人間の体は便利だが、不便な事もある。お前はこれから、以前には感じなかった様な疲れや眠気を感じるようになるだろうからね」
「大丈夫ですよ」
「いいから、お前も休みなさい。私は大丈夫だ。ここは明るくしても太陽の光は届かないからね」
「分かりました。では失礼して休ませていただきます」
ロランは、主(あるじ)の言う通りにした。
二人が目を閉じ、安らかな息を立て始めるのを見て、アントニーは少し離れた場所に座り込んだ。
「私は、ここで暮らすことになるのだろうか」
ここは静かだった。草は茂り花は咲くが、鳥の声は聞こえなかった。アントニーは、それを残念に思う。
まだ地上に戻り、全てを終わらせるまでは、結論は出せない。そう思いもする。
「とは言え、いざという時に逃げ込める場所があるのはありがたいですね」
かつての自分の領地に残してきた、先祖代々の納骨堂は、その地下にある様々な調度品はどうしたものか。
アントニーは、それについては、今は考えるのをやめておいた。まずは地上に戻り、エレクトナとアーシェルに再会するのだ。
地上での話は、そこから始まるだろう。
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