【ダークファンタジー小説】ウィルトンズサーガ『古王国の遺産〜受け継がれるレガシー』 第9話
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「待ってください」
アントニーの声が、出て行こうとするウィルトンを呼び止めた。不意に背後から聞こえる優しげなささやきに、立ち止まって振り返る。
「何だ?」
けげんな顔になっているのだろうと自分でも思う。
青年ヴァンパイアは答えず、ロズミナの方を見て言った。
「エールを一杯、お願いしますね」
「あ、はい」
娘は急いで地下室に向かった。
「何だよ、急に」
「昨日は火傷をさせてしまいましたから。エールをご所望でしたね?」
やや、芝居がかっている。『ご所望』なんて普段は使わない言葉だ。
「あ、ああ」
なんだ、覚えていてくれたのか。そんな顔で盟友を見る。
「あ、ありがとう、な」
こういうのはなんとなく照れくさい。そう思ったので目は合わせない。
「私の勘では、これから大変になりそうです。今のうちに」
アントニーはそう言って微笑した。
ロズミナは陶器のマグカップにエールをなみなみと注いできた。ウィルトンは受け取って飲み干す。
「お代はけっこうですよ」
母親のロザリアがアントニーを押し留めた。
「そうですか。では、お言葉に甘えて」
元青年貴族の方は微笑で返す。
「美味いエールだ。また飲みに来る。その時には、この件も解決しているさ」
母娘のいる宿屋を出た後、残り一軒の宿屋と二軒の小間物屋でも話を聞いて回った。
ロズミナがベールを身に着けた人影を見たのは、昨夜の夕暮れ時より少し前だ。それ以前の七日ばかりと、それ以降は、誰も林の方に何者かがいるのを見てはいない。それがはっきりした。
「だからといって本当に誰もいなかった証しにはならないが、まあ人目につくほど多くの者がいたわけではない、そんなところだろうな」
四六時中、林を見張っていたわけではないので当然だ、と思う。
話を聞き終わると、残った大蜘蛛の死骸のある場所に戻って足跡をたどって行った。
予想通り林の方から来ていたのが分かった。三匹分の足跡が並んで、ほぼ真っ直ぐに続く。
林の中に入ってゆく。木はまばらではないが、うっそうと葉が茂るほどでもない。下生えの草はウィルトンのふくらはぎの下あたりまでは伸びている。そんな草を踏み分けつつ進む。
踏み荒らされた草の下には、大蜘蛛の足跡が地面に残っている。
「ベールの主の足跡はどこだろうな? ロズミナが言った通りの細い身体なら大した重みもない。草が踏まれた跡も、地面についた足跡も見つけにくいだろうな」
「林に他の人間が踏み入って、入り混じっていなければいいのですが」
「大蜘蛛の足跡がどこまで続くか分からないが、こちらが終わったらベールの主の足跡も探そう」
「そうですね」
念のため、調べが終わるまでは誰もこちら側の林には近づけないでくれと頼んである。
大蜘蛛の足跡は林の奥まで続いた。すでに一刻近く歩いている。一刻とは、一日を二十四等分した時間の長さだ。
「けっこう離れた場所から来ていたんだな」
「何があるか分からないので、用心しておきましょう」
ついに足跡の途切れる場所に出た。それは白樺でも赤松でもない奇妙な大木の根本だった。
幹は、大の大人十人が手をつないで周りを囲むほどの太さで、見上げれば大きな枝が何本もねじれながら四方八方に伸びている。どこまで伸びているのかは分からない。枝の先は見えず、夜の闇の中に消えていた。
「なるほど、ここにいるんだとすると、ほぼ俺の予想通りだ」
大木に茂る葉も一枚一枚が大きく、穴を開ければ、子どもの顔にぴったりの仮面になるくらいだ。たくさんの大きな葉に覆われて、木の上の方もよく見えない。大蜘蛛は、樹上に巣を作っているのだろうかと思う。
「なぜ集落へ来たのでしょうね?」
「さあ、餌がなくなったから、か? いや、そんな単純な話じゃないか」
気になるのはベールの人影と骸骨もどきだ。どんな関係があるのか。
日は沈み、辺りは暗い。白銀と紅玉の二つの月は、共に細身になる周期となり、星の瞬く様だけはくっきりと見える。今夜の夜空に雲はない。
アントニーは魔術による明かりを灯してくれていた。サダソンの宿でも見た、昼の陽光のような明かりを。夜の人気(ひとけ)のない林の中で、ほっとするような暖かみのある明るさだった。
離れた場所から人の足音が聞こえてきた。
「何だ?」
ウィルトンはあらためて槍をかまえ直す。
近づいてきたのはべナリスの一行だった。ウィルトンは彼らをよく知らない。べナリス一行は、デネブルを倒した英雄の名を知っていた。
「ああ、お前らは昼に飯食いに来た荒事師だな」
「これはこれは。こんなところでまたお目にかかるとは思いませんでした。デネブルを倒した英雄御自らの煮込み料理、ありがたくいただきましたよ」
べナリス一行の三人の一人が言う。おそらくはこの女が一行の長(おさ)なのだろう。革製のぴったりと身体に張り付くような服の上に、鎖帷子(くさりかたびら)を身に着けている。鎖を作るときのように、金属の輪っかを組み合わせて編んだ鎧だ。
女の鎖帷子は、細く小さな金属の輪で出来ており、鎖帷子の中では軽量なのだろうと思う。
女はいぶし銀の色の髪を頭上で結い上げてまとめ髪にしていた。まだ若いが、目の周りには微かにしわがある。肌の色はやや浅黒い。南方から来たか、その血を引いているのだろうとウィルトンは思った。
「村でよく作った田舎料理さ。お前たちは何故ここに?」
「私達は、領主のいる都市から派遣されてきました。この辺りの街道を守る役人が全員戻らないと聞いたので、領主はいくらでも使い捨てにできる荒事師を雇ったのです。役人たちは領主に仕えていますからね」
「なるほど」
ウィルトンは、それだけ答えた。
いくらでも使い捨てに出来る、か。確かに荒事師の扱いには、そんな面もある。ウィルトンもそう考えている。
常雇いの連中と違い命令される立場ではなく、断れる依頼を受けたのは荒事師の判断だ。何かあっても、依頼主の方はあまりとやかく言われないで済む。
「初めまして、私はアントニー・フェルデス・ブランバッシュ。私たちは、その領主に会いに行く途中です。大蜘蛛の件はあなた方にお任せしてもよいのですが、もう前金を受け取りましたので、このまま探索を続けます」
「無駄な仕事を続ける必要なんてない! 荒事師も頼まれ事を選ばなければならない」
「は?」
いきなりのべナリスの叫びに、ウィルトンは唖然として口を開けた。我ながら間抜けな面になっているだろうと思う。
アントニーの方はもっと落ち着いたもので、静かにこう言った。
「こう言ってはなんですが、あなた方だけの手に負えないかも知れませんので。どうしても我々に手を引かせたいのですか?」
「待って、違うの。これは独り言で、あなた達には関係がないの」
「ああ、そうなのか」
釈然としなかったが、長の女には誠意が感じられる。
「分かった、それならいい。だけどこれだけは言っておく。独り言だろうと何だろうと、そんな言い方をしていたら喧嘩を売っていると思われるぞ」
それは警告だった。