ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第62話


 アントニーは眠りに落ちていった。ヴァンパイアは夢を見ないものだが、寝入りばなに過去を思い出した。

 いや、自然と過去が記憶の底から浮かび上がってきた、と言う方が正確だろう。

 恐れと無念を呑んで、死んでいった敵兵や騎士、貴族たちの姿がまぶたの裏によみがえる。

 私が助けた者と、殺した者、どちらが多いのだろう。

 アントニーは思う。救った者の方が多いはずだ。無駄な殺しはしなかったのだ。

 だが、殺された側からすれば知った事ではなかろう。

 ブルーリアが言った通り、そしてこの目でこの場で見た通り、妖精の心の思いは外側に現れる。

 同じように自分の心が外側に現れるのなら、それはどんな光景をもたらすのだろう。あるいは恩恵を、あるいは害悪を。

「私は後悔はしていない。だが償えるのなら償いたい」

 静かなささやきとなって、アントニーの思いは口をついて出た。すでにあとの三人は眠り、誰も気がつかない。

 アントニーは目を閉じた。妖精郷が解放されたら、私はここに受け入れられるのだろうか。

 ブルーリアは受け入れてくれた。他の妖精たちは?

 そんな事を考えながらも、アントニーにも眠りは訪れた。今それを考えても仕方がない。とにかく今は、前に進むしかないのだ。

 そうやって、一行が草と花の寝具で安らかに夜を過ごして、八刻ばかり経った。四人は目覚めた。

「良い朝だ。ここへ来てから、こんな爽快な気分になったことはないぞ」

 ウィルトンは伸びをして、あたりを見回した。花びらの掛け布団の下で、服を身に着けようとしていた。

 ブルーリアも目覚めている。寝台から離れて、やわらかな草の生える地面に座っていた。

 目を閉じ、呼吸に意識を向けて、気持ちを整えているようだった。

 この場所は静かだった。とても穏やかな静けさだ。ブルーリアの心から流れ出ていた楽(がく)の音(ね)はいつの間にか鳴り止んでいた。

「見渡す限り、荒涼とした風景ばかりでしたからね。ああ、例のさらなる地下世界、名も無き小神の作った場所は別ですが」

 疲れが癒されました、ブルーリアのおかげです、と付け加える。

「どういたしまして。私こそ、礼を言わなくてはならないわ」

 ウィルトンは服を着終わって、寝台から地面に降りた。

「なあブルーリア、昨晩アントニーと話したんだが、早くこの洞窟を出て、外がどうなっているか見てみたいんだ」

「ずいぶん、せっかちなのね。まだ起きたばかりよ」

「レドニスが死んで、ひょっとしたら外側の世界もこんな風に、穏やかな風景が広がっているかも知れないぜ」

「ええ、そうであったらどんなにか素晴らしいかしら」

「じゃあ、出ようぜ、さっそくな」

 そうして一行は、妖精の墓のある広い空間を離れた。ロランはまた、主(あるじ)であるアントニーの背負い袋に入れられた。

 一行は、来た道を逆にたどり外に出た。外は、明るかった。少なくとも、洞窟の周囲は明るかったのだ。

 遠くにはまだ、荒々しく寂れた風景が広がっている。

 だが今出てきた洞窟の周辺は、中と同じように、暖かみのある光で穏やかに照らされ、地面にはみずみずしい草が生えていた。

「あなたの言う通りだったわね。レドニスの怨念は、広く害を及ぼしていたのだわ」

 ブルーリアは、眼前に広がる美しい風景に、感嘆と喜びのため息をついた。

 晴れ晴れとした表情で、両手を広げてみせる。まるでこの解放された空間を抱きしめようとするかのように。

 そんな妖精の姿を見て、ウィルトンは言いにくそうに、

「ブルーリア、俺は他にも恨みを抱いている妖精たちがいるんじゃないかと疑っている」

と、言った。ブルーリアは、共に戦ってくれた人間の男を振り返る。ウィルトンは続けて言った。

「つまりこの妖精郷の呪いは、暗黒の神のせいではなく、妖精たち自身の心から流れ出ていたのじゃないかと」

 ブルーリアは、再度ため息をついた。今度は、重く苦しげなため息だ。

「それはなかなか厳しいわね。むしろ暗黒の神の仕業にして、このまま生きていけたら良いのかも知れないわ」

「なあ、俺は妖精たちを責めているんじゃない。暗黒の神ダクソスは、確かに過去に酷いことをしたのさ。それは事実だし、あんたらが恨むのは当然だ」

 ウィルトンはブルーリアから視線をそらし、アントニーの方に目を向けた。彼の考えを確認するように。

 アントニーはうなずいた。ウィルトンは、再びブルーリアを見る。

「だけど妖精には、思っている事が周囲に現れてしまう力があるんだろう? だとしたら」

「ええ、そうね。あなたの言いたい事は分かるわ」

 アントニーが口をはさむ。

「ブルーリア、今はまだ、無理して受け容(い)れることはないのですよ」

「ありがとう、アントニー。でも私はなぜ気がつかなかったのかしら。いえ、気がつくまいとしてきたのよ。だからずっと暗黒の神ダクソスのせいにしてきたの。ダクソス『だけの』せいにね」

「ブルーリア、あんたは俺たちの考えを受け入れてくれるのか」

「こうしてレドニスが死んで、怨念が消えた後を見せられているものね。絶対そうと決まったわけではないけれど、もしもそうなら」

 水色と銀のきらめきの髪の妖精は、そこで言葉を切った。三人の間に、沈黙が流れた。

続く

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