英雄の魔剣 44
「お呼びにより、参りました。王立第一騎士団・副団長、ユスティーナ・バロンサでございます」
ここは世継ぎの王子のための謁見室である。
「よく来てくれた」
アレクロスは、にこやかに答えた。この女騎士には、権威で圧しても何もならないと判断した。
それでも王子がどうであれ、左右には儀仗兵(ぎじょうへい)が立ち、威圧感は否応(いやおう)もなく醸(かも)し出される。
ユスティーナは玉座に座する王子の御前(ごぜん)で、片膝を着いてひざまずく。鎧は来ていないが、いつものように男子の騎士と同じ白く簡素な衣装。帯剣は許されていた。それは、騎士への配慮だけでなく、いざとなれば剣に掛けて誓いを立てさせるためでもある。
王子は直ちに、ユスティーナにすでに伝えておいた命令を再度繰り返した。ユスティーナとしては、否と言えようはずはない。入ってきた時と同じようにうやうやしく礼をする。
「森の精霊たちにも、よろしくと伝えてくれ」
すまないと思っている、とまでは言えない。それが本音であっても。
「魔物は我々人間だけでなく、精霊をも襲うようになりましょう。そのように伝えました」
「それは実に賢明な判断であったな、ユスティーナ」
お世辞ではなかった。偽らざる本音である。アレクロスとしては人間以外の種族のためにも戦うのだと、大義名分を掲げておきたかった。本音を言えば、人間全体どころか、コンラッド王国のことだけを考えるので手一杯である。
それは、「コンラッド王国だけが大事であって、他はどうなってもよいと考えている」そんな意味ではない。だが英雄王の力量を蘇(よみがえ)らせる武具の力をもってしても、やはりアレクロスに出来るのは自国を守ることだけなのだ。それ以外は手に余る。
それはだいたい皆が分かっているであろう。それでもアレクロス自身があからさまに本心を出さなければ、建前はそれなりの意味を持つ。
「差し出がましい口を利いてもよろしいでしょうか」
女騎士はそう訊(き)いてきた。
「お前が言うのなら、余計な差し出口(さしでぐち)ではあるまい」
それはアレクロスの、嘘偽りのない真実の声である。それがユスティーナにも伝わったかどうかまでは分からない。
そう、分からないのだ。今、アレクロスは黒い魔剣を帯剣し、その魔力を得ている。その上でなお、ユスティーナの心が読めなかった。それ以外の者の内心は、手に取るようにとまではいかずとも、かなりの程度に正確につかめていた。だからこそ、的確な対応も出来る。今は出来るようになった。
魔性の武具を身につける前までは、一見は優しいようで、それでいて何と上滑りな、的(まと)を外した思いやりしか示せなかったことか。
それは果たして、本当の優しさと言えただろうか。
否と、今のアレクロスはそう考える。それでも彼が市井の庶民であれば、充分に良い人で通ったであろうが。
ユスティーナの方は、そんなアレクロスの思いを理解しているかどうかまでは分からない。彼女は言った。
「過去に我が国が《奈落の侯爵》に対してした事です」
それを聞いて、アレクロスは身をかすかに強張(こわば)らせた。
「いかがお考えですか、王子殿下。それは《奈落の侯爵》自身が諸国にも異種族にも知らせている通り。これで我が国の大義名分を信じるのでしょうか」
アレクロスは、しばらくは黙っていた。
「なるほど、お前の友である精霊に、よく信じてもらえるような大義が欲しいのであるな」
「はい、確かにそうした思いもあります。それだけでもございません。王子殿下、はっきりと申し上げます。もしもこの点をおろそかにして先延ばしをなさるのであれば、必ずや我が国に、そして王子殿下ご自身の名誉に関わることでありましょう」
アレクロスは、これまでよりやや強い視線を遠慮なく女騎士に向けた。鋭い、と言ってもよいくらいのまなざしである。
だが、ユスティーナは臆する様子もない。
「そればかりでなく、我が国への他国や異種族の信頼は薄れ、《奈落の侯爵》を倒せたとしても、それがかえって我が国や王子殿下ご自身が恐るべき脅威と見なされる理由となりましょう。それは大義名分無き戦いに勝利するよりもつらい損失でございます」
アレクロスの左右で儀仗兵(ぎじょうへい)が身じろぎした。何と遠慮のない女かと思っているだろう。アレクロスはそう考えた。率直に言えばアレクロス自身もそう考えていた。ユスティーナは、庶民にも貴族にも声望は高いが、所詮(しょせん)はただの騎士階級の娘である。公爵家の一族の令嬢たちとは違うのだ。
「なるほど」
ようやくアレクロスはうなずいた。
「お前の言うことにも一理ある」
「どうかお聞き届けくださいませ、王子殿下」
ユスティーナは、これまでよりさらに深々と頭を下げた。