ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】7作目深夜の慟哭第46話
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ウィルトンは太い幹にしがみつき、よじ登っていった。すぐに太い枝の上に乗ることが出来た。そこからは、焼きたてパンの味がする木の実を取り放題だった。
「ああ、美味いな! 肉やミルクもあればいいのに。それに芋(いも)と他の根菜類だ。まだ青菜を収穫するのには早いからな」
「人間って、本当にいろんな物をたくさん食べるのね」
「そうさ。でなきゃ働けないからな。地下世界には、他にも人間が食えそうな物はあるのか?」
ウィルトンは急に心配になった。呪いを解いて地下世界で暮らしたいと思う気持ちは大きくなってゆくが、食べ物はどうなるのだろうか、と。
「呪いから解放されたなら、川が流れるはずなの。泉も湧いて、そこからは小川が流れ、魚も貝もいるようになるわ」
「そうか! なら、釣りも出来るようになるな」
ウィルトンは顔を輝かせた。傍から見ても明白に、表情が明るくなっていた。アントニーが見ていたなら、単純な人ですね、と言ったことだろう。
ウィルトンは釣りが好きだった。デネブルを倒すまで、世界が夜の闇に包まれていた頃、ウィルトンは川で釣りをして家族を養っていた。それは時に家族の食卓に上り、あるいは近所の農夫との物々交換の材料になった。
ウィルトンの父親も、川で漁をする漁師だった。彼は素潜りによって、川底の貝を取ったり、川海老を捕まえたりした。あるいは投げ網を打って魚を一挙に捕まえた。
ウィルトンは、それよりも釣りをするのを好んだ。釣り竿に釣り糸、そして釣り針、それらの道具を心から愛していた。
父親は小ぶりの川海老や貝、魚をたくさん捕まえて、干して保存食にしていた。それは家族のためでもあり、また物々交換の材料にするためでもあった。
ウィルトンは釣りで大型の魚を釣った。小ぶりの魚は器用にナイフでさばき、そのまま自分で焼いて食べてしまうこともあったのだ。よく父親には、仕事の最中に飯を食うな、仕事が終わってから飯を食え、と怒られたものである。
しかしウィルトンはいつも持っていく木桶の中に、大ぶりの魚を四匹も捕まえると、後は小さな魚を釣り上げてしまったなら、それをさっさとさばいて焼いて食べてしまうのだった。
「その親父ももういない。いなくなってしまった」
母親もいない。母親は家の周りの畑を耕していた。妹と一緒に家の切り盛りもしていた。今では オリリエだけがウィルトンの直接の家族である。親戚はいるが、同じ 一つ屋根の下に住む家族のようにはいかない。
「親父、親父がいたらなんて言っただろうな。俺のことを、息子として誇りに思ってくれただろうか。それにおふくろは。ひょっとしたら、オリリエを貴族に嫁入りさせられるかも知れない。おふくろが生きていてくれたら、おふくろだって貴婦人みたいな服を着てさ、一緒にアーシェルの屋敷に……」
ウィルトンは、そこで言葉を切った。木の実を食べるために岩の上に座り込んでた彼は、背を丸めてうつむいた。
「お父さんやお母さんに会いたいのね」
ブルーリアは言った。それは質問ではない。確信しているのであり、確認ですらなかった。ウィルトンは一応、
「ああ そうだ」
と答えた。
「そうなの。でもそれは叶えることができない。たとえこの地下世界の呪いを解いたとしても、元の美しい世界になったのだとしても、私ももう仲間に会うことはできないわ。デネブルに血を吸われた仲間に会うことはできない。それに肉体を奪われた人間の青年にも、よみがえってもらうことはできないの。それは無理なの、できないのよ」
ブルーリアは、ほとんど感情を込めず淡々として言った。にもかからず、ウィルトンは彼女の心の中に潜む苦しみを感じ取ることが出来るような気がした。それはきっと思い過ごしでも錯覚でもないはずだった。
「ウィルトン」
後ろから声がした。振り返りはしない。アントニーだ。声で分かる。
「ロランは?」
「大丈夫です、連れてきましたよ」
「ウィルトンさん、何を食べているのですか?」
ウィルトンは立ち上がり、声の方を見た。アントニーの立派な黒い革製の背負い袋から、ロランが顔だけを出している。
「あの木の実さ。焼きたてのパンの味がする」
「それは素晴らしいですね!」
「お前たちにも食わせてやれたらなあ」
それはウィルトンの心からの思いだ。
「いいんですよ、自分だけで召し上がってください。私にはほら、あなたがくれたこのワインがあるんですから。それより、ブルーリアは大丈夫なんですか」
「私のことなら気にしないで。私は大丈夫」
「あなたは何を食べるんです? やはり 花の蜜ですか。そんな話を聞いたことがあります」
「その通りよ、よくご存知ね。この呪われた地には花があまり咲かないけれど、それでもたまにたくさん咲いている場所を見つけることができるの。 そして地上へ行って花を集めてくることもあるわ。花をもらって種を植えたり挿し芽をしたりするの」
ブルーリアは、いつになく穏やかな微笑みを浮かべた。
「そうすると、しばらくは花が増えてくれるわ。なくなったらまた取りに行くの。 私たちは地上へ 長くいられない。それに危険かもしれないから。 だって、呪われた妖精を、快く思わない人間もいるものね」
ウィルトンは、安心させるように言う。
「ああ、大丈夫だ。いずれそんな苦労もなくなるさ。俺が呪いを解いてやる。俺とアントニーが。とりあえず腹ごしらえが終わったから、しばらくここで休憩させてくれ。そうだな、半刻ばかりも横たわっていたら、また起きるよ」
そう言ってウィルトンは、岩の上に横になり、目を閉じて寝入ってしまった。
続く