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アッシェル・ホーンの冒険・第十二話(最終話)【人の心の闇に勝る、『魔王』は存在しない】

マガジンにまとめてあります。


 ヒルマンは祭壇の前にひざまずき、祈りを捧げていた。アッシェルが歩み寄ってゆくと、ヒルマンは立ち上がり、アッシェルの方を向いた。

「考えてもみろ、アッシェル。これで世の中は平和になる。また法と秩序の時代がやってくるのだ」

「今、ジュリアン神を始めとして、ネフィアル女神以外の神格を信奉する人々はどうなりますか?」

 エミリ。エミリは決してジュリアン信仰を捨てはしないだろう。それでもかまわないのだ。無理に信仰を変えてもらっても意味はない。

「皆、ネフィアル女神を崇めるべきだ。そうすればこの混乱は収まる。皆が平和に暮らせるようになる」

「果たして、そうでしょうか」

 アッシェルは静かに問い掛けた。

「もちろん、そうだ。そうに決まっている」

「私はそうは思いません」

「どうしても導きが必要な者がいる。どうしても自分の頭では判断できぬのだ。そんな連中には女神の導きが必要だ。彼らが女神のご意思を感じ取れぬのであれば、我らが代わりに導くのだ」

「ええ、確かにそんな人々はいます。彼らはネフィアル女神の信仰者だけで集まり、その村でだけ暮せばいい。けれど西方世界すべてがそうなる必要など無いのです」

「かつての〈法の国〉がそうであったように、我らははるか東方世界にも領域を広げるのだ」

「はっきりと言います。狂気の沙汰としか思えませんね」

 こんな事はできれば言いたくはなかったのだ。アッシェルは深くため息をつく。

「お願いです、どうかもう止めてください」

 深く頭(こうべ)を垂れて願う。ヒルマンは聞き入れない。

「おいおい、おっさんいい加減にしろよ? 家族が泣くぜ?」

 アッシェルの背後から真横に進み出てきた。マルバンは心底あきれているようだった。

「黙れ、貴様のような不真面目な奴に何が分かるか」

 ヒルマンはカッとなったようだった。声を大にして怒鳴りつける。

「確かに俺は、あんたやこちらのお兄さんに比べりゃ不真面目かもしれん。いや、間違いなくそうだ。だけど俺程度の奴も受け入れる度量のねえ世界ってな本当に暮らしやすいのか? 俺たちは魔物や罪人に殺されるかもしれん。だけどあんたの望む世界は、俺や俺の女を殺さずにいてくれるのか?」

「黙れ、不埒な不信心者めが」

「ヒルマンさん、止めてください!」

 ヒルマンが槍を手にしたのを見て、アッシェルはあわてて制止した。ヒルマンはかまわずマルバンに突進する。スキのない動きだった。素人目には猪突猛進に見えるだろうが、実はそうではない。

 マルバンは、

「仕方ねえな!」

 と叫んで大きな斧をかまえ槍をはらう。

 槍は弾かれ、マルバンの身体には届かない。勢いよく戦斧が振り下ろされる。

 ヒルマンは肩を負傷した。彼自身は、ネフィアルの神技を使えない。いつもアッシェルが癒やしの技を掛けていたのだ。

 アッシェルは息を飲む。

 なんと強いのだ、マルバンという男は。そう思った。
 
 ヒルマンの方も、いつになく冷静さを欠いていた。実力が均衡する者同士では、熱くなったほうが負けるものだ。

 さらに二、三度。マルバンは戦斧を叩きつけた。槍は折られた。アッシェルにとっては、初めて見る光景だ。

「ヒルマンさん! しっかりしてください」

 後ろに倒れたヒルマンに駆け寄る。

 知恵の書には罠があったのか。いや、あのドラゴンならばこう言うであろう。人の心よ、汝の中にこそ罠が潜むのだ、知恵の書は単なる書物に過ぎない、と。

「仕方ねえ。倒すぜ」

 マルバンは戦斧を振り下ろす。そう簡単にやられるヒルマンではない。もう穂先の付いていない槍の柄で受け流す。

「ちくしょうめ」

 マルバンは大きく舌打ちをした。

 ヒルマンも立ち上がり、大きく後方に跳んで槍を棒術の技のように振るった。マルバンは右にかわす。

 アッシェルはメイスをヒルマンの足に当てた。槍を折られた戦士が、戦斧の戦士に気を取られているすきを狙ったのだ。

 ヒルマンは倒れた。

「ヒルマンさん」

 アッシェルは片膝をついて、顔を覗(のぞ)き込む。まだ癒やしの技は掛けない。

 ヒルマンは肩と頭から血を流していた。

「アッシェル、お前が、そんな『友』を連れてくるとはな」

 友? マルバンは私の友、なのだろうか。アッシェルは戦斧を手にたたずむ戦士を見、またヒルマンに視線を戻した。

「私の間違いだった。私は間違いを認めよう」

 ヒルマンは目を閉じた。おびただしい血が流れ続けている。アッシェルはそっと手を当てて、癒やしの力を流し込んだ。じきに血は止まる。ヒルマンは目を閉じたままだ。

「私は家族のもとに戻る。もう世界のことを考えはしないだろう。それは自分勝手な行いだとは思わないか」

「思いませんよ」

 やや、冷たいとも言える響きを宿らせてアッシェルは告げた。

「誰もあなたのそんな救いを待ってはいないからです」

 ヒルマンはため息をついた。

「そうだ、そのとおりだ。それに早く気がつけて、本当に良かった」

 ヒルマンは目を閉じ続けて、開けなかった。眠りについているかのようであった。

 神殿の中は静謐(せいひつ)に満ちていた。誰にも脅かされない静かさを保ち続けてきたのだ。

 この静謐さを世にもたらしたいと望む者はいるのは分かる。ヒルマンの思いを、アッシェルも否定しきれない。

 アッシェルは嘆息した。

「私たちはこれからも、村を平和に保つんです。我々がここで、できるだけのことを、これからもしていくんですよ」

 アッシェルはヒルマンにささやいた。そのささやきは静かな神殿の中に流れた。

終わり

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片桐 秋
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