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英雄の魔剣 51

 その一刻の後には、王子はもう伯母のいる室内から出ていた。
 魔剣は血に濡(ぬ)れてはいなかったし、血を拭(ぬぐ)い去った形跡もない。誰かが詳細に調べたとて、血痕など全く見つかりはしないだろう。それでも王子は、伯母ウルシュラにとっての大事な物を切り捨ててきたのである。文字通りの意味で。その役割を漆黒の魔剣は果たした。伯母が若い頃から積み上げてきた、ベナダンテイの自然魔法の魔法具とそこに込められた力である。

 室内の中央にある魔法のサークルを打ち壊してきたのだった。サークルの中央にはいくつかの生き物の死骸(しがい)があった。野うさぎに野ねずみ、それに野の小鳥である。それらもこくごとく切り刻んで捨てた。窓から中庭に出て、咲き誇る薔薇の茂みの中に。ことさらに埋葬しようとまでは思わない。野の生き物とはそのようなものではないはずだからだ。

 その時には外からさんさんと陽の光が室内に入り込んで空気は清澄となった。それで伯母の魔力もほとんど失われた。伯母ウルシュラは、見えぬ目と極端に陽光に弱い肌をまぶしい外の光にさらされた。見る間に、上等な衣装に覆(おお)われていない部分は赤くなってゆく。軽い火傷(やけど)である。ウルシュラは苦しんで、己(おのれ)の甥の魔の手から逃れようと身をよじる。

 アレクロスは手早く窓に掛かる幕を一枚だけ下ろした。陽光は遮(さえぎ)られ、室内は薄暗くなる。ウルシュラは安堵(あんど)して床に座り込んだ。それまでは椅子の背にすがりつくようにして、かろうじて立っていたのだ。

「ウルシュラ伯母上、『私』はしばらくはここに戻れません。あなたの離宮だけでなく、この王宮に戻れないのです。しばしの別れを。そして自分自身を見つめ直しなさい。さもないと、おそらくは残りニ十年でほどで、惨(みじ)めな死が待っていますよ」

 アレクロスはそう告げると、伯母に背を向けて出て行った。扉が従者の手で閉められるまで振り返りもしなかった。

 アレクロスは自室に戻った。すでに昼近くになっていた。それほど長い時が経ったとは思えなかったが、窓からの光の加減でそれは分かる。
「セシリオを呼んでくれ」
 従者にそう言いつける。従者に礼をして王子の居室を去った。ただ一人、アレクロスはそこにいる。
 それから、ゆるりと甲冑を脱いで卓上に置いた。魔剣は手放さず、腰に下げたままだ。

 この力はどうすれば制御出来るのか。
 少なくとも今のところ、この武具を身に着けていても、正気を失って暴走をすることはない。しかし、脱いでからどうなるのかは予測が付かない。
 容姿も精神の有り様も、さほど変わらないままである時も、元に戻る時もある。
 どのようにすれば良いか、アレクロスにはまだはっきりとは分からなかった。

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片桐 秋
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