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【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第22話
マガジンにまとめてあります。
「食事が終わったなら、応接室にご案内します。そこで今後のことを話し合いましょう」
アーシェルは、晴れた日の深い湖の色の瞳をしている。その瞳で、真っ直ぐにウィルトンを見た。次に、アントニー、そしてエレクトナに顔を向ける。アーシェルは三人の向かい側に座っていた。
「はい、もちろんです」
ウィルトンは答える。自然と笑顔になる。アーシェルは実に好感の持てる若者に見えた。明朗で、それでいて落ち着いた品のある話し方に物腰。
アントニーの方も見た。盟友は相変わらず端然とした様子で椅子に掛けている。彼の前の卓上には皿はなく、なみなみと注がれた赤ワイン入りのグラスだけがある。高価な無色透明の硝子製のグラス。赤ワインは、鮮やかな血の色に見えた。
アントニーの髪も瞳も濃い紫色だ。一階の窓は全開にはされておらず、今でもやや薄暗い。そんな中では、黒にも近い濃紫(こむらさき)に見えた。
「具合はどうだ、アントニー」
「私は平気です。陽光が直接当たらなければさほどの害はありません。ローブを着たままで失礼させていただいていますから、大丈夫ですよ」
「そうか、それならよかった」
ウィルトンはアントニーの隣に掛けていた。アントニーのもう一方の隣、左側にはエレクトナがいる。
「私のことは心配してくださらないのね」
令嬢はいたずらっほく笑う。
「え? あっ! 今晩、新月に」
「そうよ。覚えていてくださったのね」
ふふふ、と声を立てて笑う。
「アントニー殿とエレクトナ嬢のために、木戸を全て閉めてもかまわないですよ。召使いたちには、しばらくは我慢させましょう」
「あら、私のことはお気遣いなく。多少の陽光には耐えられますわ」
アーシェルはアントニーに視線を移す。
「私も、ローブを着用させていただければ、それでけっこうです」
「お二人が、そのようにおっしゃるなら」
アーシェルは、皿に乗せられた最後のひと口を、二又(ふたまた)のフォークに刺して口に運んだ。
ウィルトンも、アーシェルに食べる速さを合わせて、最後の芋を食べる。皮の薄い大きな黄色い芋で、蒸すとほくほくとした食感がある。ゆで卵と共に、岩塩だけで味付けされていた。芋には、岩塩だけで充分と思えるだけの旨みがある。
「美味い……いや、美味しいです。太陽の恵みのような味がします」
フォークは銀製ではなく、ピューターである。ピューターは、錫(すず)と銅の合金で、ややくすんだ鈍い銀色をしている。木で出来た物よりは高価だが、余計な贅沢をしない主義はうかがえた。
「そうでしょう。我が領地の誇りです」
「失礼ですが、アーシェル殿には婚約者はおられますか?」
アントニーもエレクトナも、驚いた様子でウィルトンを見た。いきなり何を言い出すのかと思っているような顔だ。
「いいえ」
アーシェルの方は、落ち着いた物腰で静かに答えてくれた。
「シェルモンド家は古い家柄と聞きます。やはり貴族の令嬢でなくてはとお考えですか?」
「さあ……必ずしもそうとは思いません。古い家柄にも、新しい血が必要かも知れませんね」
やったな。こいつはいい手応えだ。ウィルトンは内心、ほくそ笑みたい気持ちでいっぱいになる。
「新しい血ならば、遠方の貴族の方をお迎えになりますか?」
念のため、こう尋ねておく。
「遠方の? さあ、街や南の国々の令嬢は、きっと北の田舎の土地には慣れないのではないでしょうか。それは気の毒というものです」
「俺の妹は──」
と、その時だった。
「お食事中、失礼をいたします」
四十代と思(おぼ)しき女が入ってきた。この食事をするための部屋は、エレクトナの祖母の屋敷の食堂よりもずっと小さい。扉を開けてすぐに、女は卓の側に来られた。
「もう食事は終わったよ。なんだい、騒々しいな。何があったんだい?」
アーシェルは壮年の女に顔を向けた。
「アーシェル様、領民が野犬の群れに襲われていると、知らせが入ったのでございます」
「またか」
アーシェルの端麗な顔がしかめられた。
「野犬狩り、お手伝いいたします」
アントニーが言った。
「おお、ありがたい。それでは手をお貸しください、お二人とも」
こうしてアーシェルと共に野犬退治に向かうこととなった。エレクトナは館に残ると言った。ヴァンパイアにならなければ力を発揮出来ないのかと思うが、くわしく訊きはしなかった。
アーシェルは黒々とした馬にまたがり、先頭を駆けてゆく。後ろからアントニー、それからウィルトンが続く。二人は厩(うまや)から栗毛の馬を貸してもらっていた。
水竜の棲(す)む湖からも、アーシェルの暮らす館からも離れた場所に果樹園が広がる。夕日のような色の果実がたわわに実っていた。葉は淡い緑で、果実と同じくらいの大きさで、木陰が出来るほどに茂っている。
野犬は見つからない。遠吠えも聞こえなかった。
人々の姿も見えない。
「お召し上がりになりますか?」
物珍しそうに果樹を見上げるウィルトンに、アーシェルは笑いながら言った。
「ああ、いや。いいんですか?」
「ええ。一つくらいならば。野犬狩りを手伝っていただけるのですからね。村の者も、否とは言いますまい」
「ありがとうございます。では一つだけ」
アーシェルはそれを聞くと、馬を下りずに木の真下に行き、手を伸ばして果物をもぎ取った。
果物の皮は薄く、みずみずしくやわらかい。
「皮ごと食べられます。どうぞ」
ウィルトンは、囓(かじ)ってみた。さわやかな香りが口の中、さらに鼻孔へと広がる。甘く、わずかに酸味がある。
「お前にも食わせてやれたらなあ」
「いいのですよ。お気遣いなく」
「そうだ、血を吸わなくて大丈夫か?」
「そうですね、あなたよりも、人間でいる時のエレクトナ嬢の方が美味しそうです」
アントニーはいたずらっぽく笑う。
「お前な」
ウィルトンは呆(あき)れてみせた。本気で呆れてはいない。言ってみただけだ。
しかし、果実を味わって欲しい気持ちは本当だった。
と、その時。
唸(うな)り声が聞こえてきた。姿は見えない。
「何処かに、隠れているの、私の人形」
幼い少女の声が虚ろに漂う。姿は見えない。
「人形?」
ウィルトンは問い返した。ほとんど意識せずに、自然と背中に背負った槍に手が伸びる。ただの少女ではあるまい。そんな風に、直感が働く。
「アーシェル殿、あの少女の声は何かご存知でしょうか?」
「ああ、あれはこのあたりによく出る亡霊なのです。特に害はありません。朝になったから、もう消えるでしょう」
「亡霊?」
「あなた方を助けた亡霊のように、高貴な者でも、力ある者でもありませんが、デネブルがまだ滅ぼされていなかった昔に、野犬の群れに食われた少女の亡霊なのです」
「食われて……?」
「はい」
ごめんな、アントニー。やっぱり俺は、デネブルが許せない。
今でも怒りが湧く。
怒りは力だ。それは、善にも悪にもなるだろう。
力は使い方次第だ。力自体は悪ではない。
「デネブルはいなくなったのに、野犬が人を襲う呪いはまだ解けないのですか?」
「ええ、ウィルトン殿。それでも前よりは格段に平和になりました。それは事実です」
アーシェルはそれ以上何も言わず、黙って唸り声の方へと馬を進める。ウィルトンたちも続いた。
果樹園の奥に進むと血の匂いがした。村人が倒れていた。おびただしい血を流して、三人。
アーシェルは馬を下り、駆け寄る。
「しっかりしろ!」
アントニーも、そっと馬を下りた。アーシェルのかたわらに膝をつき、村人に手を当てる。
「まだ生きていますね。けれどこのままでは死ぬでしょう」
「ああ、くそ。何とかして──」
アントニーの白い杖から魔力が流れた。先祖の骨で出来た杖と同じくらいに白い光の流れが見えた。
淡く白い光は村人に流れ込み、見る間に傷は癒えていった。
「これは……すごい!」
「ええ。古王国時代には、魔術で怪我や病を治せたのです。今ではそれは、神官の神技でしか出来なくなりましたね」
「魔術で、より強力な薬を作ることは出来るようですが、ここまでの治癒力は難しいでしょうね」
「薬は私も作れます。それも古王国の流儀に、今のやり方を加えたものです」
「それは素晴らしい! ぜひ我が村をお助けください」
「はい、喜んで」
アントニーは静かに立ち上がり、もう二人の村人を診(み)た。二人にも杖から魔力を流して治癒する。
「さすがはアントニー、我が盟友だ。古王国時代の魔術は万能だな。どうして今は廃れてしまったんだろう。デネブル自身は、旧種ヴァンパイアとしての力を使っていただけで、古王国魔術の、正統な後継者とは言えないんだろうしな」
「デネブルに関してはその通りです。旧種ヴァンパイアなら、誰でもあのような力を持てるわけではありませんから、元々鍛えられていた魔術師としての力も土台になったのだとは思います。それはともかく」
アントニーは立ち上がり、まだ馬上にいる盟友に語り掛ける。村人たちは、慄(おのの)きながら、彼ら彼女らの領主アーシェルに礼を言っている。アーシェルは黙って背後のアントニーを指し示した。
「あ、ありがとうございます、我らの英雄殿!」
「そのような言い方は面映(おもはゆ)いですね」
アントニーは少し困った顔をした。
「それはともかく、何だ?」
「古王国の魔術は、一つ一つの発動が今の魔術方式よりは遅く、時としてそれが致命的になることもあります。私は、古王国魔術のやり方を損なわずに、出来るだけ発動を速めるやり方を試してきました。デネブルに勝つには、そうするのが一番だと考えていました」
「発動を速めるとは?」
「呪文の詠唱を短くすることです」
「へえ。元はもっと長かったんだな」
「はい、そうですよ。私一人では出来なかった。助けがあったからこそです。いずれお話することもあるでしょう。今は、ただそうした事情があったとだけ」
「分かったよ。四百年、本当にいろいろあったんだろう」
「ええ。それより今は野犬を探しましょう。まだどこかに潜んでいるかも知れません」
続く
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