【ダークファンタジー小説】ウィルトンズサーガ『古王国の遺産〜受け継がれるレガシー』 第2話
前回の話はこちらです。
マガジンにまとめてあります。
一晩中歩いて、ウィルトンが生まれてからこの時まで三十年間暮らしてきた村から離れた場所に来た。村の見捨てられた墓地から北上している。ここもまだ、アントニーのかつての領地内なのだ。
村と村とをつなぐ道中に、宿屋と小間物屋の固まって建っている場所がある。宿屋が三軒、小間物屋が二軒。どれも木造だった。
ウィルトンがいた村のように昔からの石造りの家を古王国末期から約四百年ほども、代々使い続けてきたのではなかった。
「せいぜい三十年からそこらってところか」
ウィルトンは目算を立てた。
「四百年も経つ石造りの家々からすれば、いわば『若造』ですよね」
そう言って彼の連れは含み笑いを漏らした。
「あー、はいはい、そうだよ、若造だよ」
ウィルトンは自分が皮肉っぽい言い方をするのは好きだが、他の者からそう言われるのは少しばかり苦手であった。それでも軽く流すくらいは出来る。大抵の場合には。
すでに夜明けは近いが、まだ人通りはなかった。小間物屋は閉まっていて、宿屋は三軒とももう開いていた。窓の木戸も閉められてはおらず、内側から温かい光が漏れている。多分、暖炉とろうそくの灯火(ともしび)だろう。
ウィルトンは三軒のうち、一番最初にたどり着いた宿屋に入っていった。ここでいいか? とは聞かなかった。実のところ、どれも大した違いがあるようには見えない。
「こんばんは、一日だけ泊めてくれ。一部屋でいいぞ」
言いながら扉を開ける。このあたりは村々や各都市をめぐる行商人や、魔物退治などをする荒事師がよく泊まる宿のはずだ。ヴァンパイアくらいで驚きはすまい。
そう思って中に入っていった。後ろからはフード付きのローブで全身を隠したアントニーがついてきている。
灯(あか)りはあるが、人の姿は見えない。四つの円卓の周りには、それぞれ四脚の椅子が並べられている。
入り口から見て正面にあるカウンターの向こう側には、火を起こして、上に鍋を掛ける石造りの大きな台が見える。
暖炉に似ているが、上部には火の熱を直接当てられるように丸い穴が開き、そこに鍋を掛けて調理をする。ウィルトンの実家の台所にもあったような物だが、それより一周りは大きい。
今、そこには火が燃えていた。それはさして広くもない室内を照らし出して、窓からも明かりを漏らしていたのだ。
鍋を掛ける炉の他には井戸があった。炉に火は残っている。四つの円卓には太いろうそくが立っていて、どれも火が灯されている。
「誰かいないか?」
ウィルトンは大きな声で呼び掛ける。返事はない。彼は慎重な足取りで中に踏み込む。槍の穂先を露わにして、いつでも戦えるようかまえた。
「天井に」
ウィルトンは急いで上を見上げた。
天井には太い梁(はり)が渡されていて、巨大な蜘蛛が五匹張り付いていた。巨大な、そう、ウィルトンの身の丈ほどもある。
「何だ、これは」
天井はやや高く、梁がめぐらされた更に上は暗くてよく見えない。しかし蜘蛛がうごめいていて、そこから、何やら人の足のような物が見えた。
突然、天井から大量の蜘蛛の糸が降ってきた。かわそうとしたが左腕を絡め取られた。
「畜生!」
こうした時に、槍では糸を切り難い。剣が一番だろうとウィルトンは考えた。斧でもやり辛いに違いない。槍は持ち手の部分が長く、離れた敵に届きやすいが、こうした時には逆に扱いにくくもなってしまう。
粘り気のある蜘蛛の糸を、槍で振り払うのは難しかった。
と、そこに火が放たれた。絡みついていた蜘蛛の糸がたちまち焼け落ちる。
「熱うっ! お、お前な」
「時間を掛けて、取り除いている暇はないようです」
巨大蜘蛛は一斉に降りてきた。ぼとり、ぼとりと、巨体に似合わず軽やかとも言える音を立てて床に降り立つ。
ウィルトンは一番近い位置にいる蜘蛛に光の刃を浴びせた。
背後からは小さな火の玉が飛んで、蜘蛛と吐き散らかされる糸を焼いてゆく。
「なあ、後でエールを奢(おご)れよ?」
エールとは、大麦か小麦を常温で発酵させて作る、度の低めの酒のことだ。やや甘みがあり、高価なワインと違って、庶民が常日頃飲む酒だった。
ワインのためのぶどうよりも、大麦や小麦の方がたくさん収穫出来る上に、作り方も簡単だから安価に出回っている。
「何故」
「火傷しただろ。軽いけどな」
「後で治します」
ウィルトンは思わず舌打ちをした。アントニーに対してではない。空腹や喉の乾きを癒やす間もなく、突然現れた大蜘蛛どもに対してだった。
「ああ、くそ。皆どこに行ったんだ?」
「生き残ったなら、外に逃げたか、二階の宿の部屋でしょうね。そうでなければ」
この忌々しい巨大蜘蛛の腹の中だ。考えたくはないが、そう考えるしかない。
光の刃と火の玉で、蜘蛛を全部殺すことが出来た。もはやぴくりとも動かない。
先ほど見た、天井の梁に引っ掛かっている人間の足らしき物を、やりたくはないが確認しなければならないのだろうなとウィルトンは考えていた。