フィクションのアイデアのメモ〜自他境界不明瞭をテーマに

 創作活動のアイデアをメモする紙のメモ帳を持ち歩くことにした。アイデアは必ず書き留めておいたほうがいいと言う人は多いが、その場合、どんなメモを使うか。

 近頃はスマフォで音声録音も多いだろうが、私は昔ながらの紙のメモ帳を持ち歩くことにした。そんなメモ書きから、ブログ記事にまとめてみた。

 実はこれはとある人気漫画と、それを原作とするアニメを見て思い付いたことだ。

 フィクションにはテーマがあるが、それがはっきりと表に出ている物と、隠しテーマになっている物とがある。(はっきりと出しているタイプでも、もういくつか、隠されたテーマが存在するものもある)

 さて、その漫画およびアニメの隠しテーマとは「愛は執着ではない」である。

 仏教では『愛』を渇愛(タンハー)と呼び、「誰かや何かを愛するのは、執着を生むので良くない」としてきたと聞く。

 一方で、明治以来、西洋からは恋愛を至上の価値とする文学などが流入してきた。正確に言うと、恋愛を通して、人格を鍛える思想が、至上の価値とされていたのである。

 古い文学では、やはり書き手も主人公も男性であることが多く、男性主人公が女性との恋愛を通して変化したり、精神的な試練を乗り越えたりする話が多いようだ。

 乗り越え損ねると、これまでに紹介してきたホフマンの『砂男』のような末路になることもある。

 で、ここでのアイデアメモ書きでは、「愛は執着ではない」の愛を恋愛に限定せずに、もっと広く、愛情とか慈愛、友愛的なものに広げてみたいと思う。もちろん、親子の愛も含まれる。

 それでは、これがそのアイデアメモである。

 彼、仮にAとしよう、Aは父親を早くに亡くし、母親に育てられた。母親は、彼女なりに息子を大事に育てはしたが、少々どころではなく、押し付けがましくヒステリックな面があった。

 押しつけがましさとヒステリックさは、往々にして、何かや誰かへの執着から来るのだと思うが。

 まあ、少なくとも冷静な判断ができている状態ではないのだ。

 しかし、周囲の人々はAに言った。

 「お母さんは、良かれと思って言っているのだから」と。

 保険金と亡き父親の実家からの支援で、そこまでは経済的に苦労しなかったが、母親一人で子育てする女性に世間はかなり同情的だった。

 虐待レベルの事をしたわけではないのもある。

 それ自体は悪いことではないが、Aはそのために、良いと思うことは相手に押し付けてもかまわないとする考えを持ってしまう。

 また、早く成長して、母親を支えられるような男になりたいと願っていて、それ自体は良い事なのだが、「女は皆、母親のように男に頼りたがるものだ」と強烈に思い込んでしまう。

 実際に大手企業に就職し、経済的にも社会的地位でも頼れる男になるが、問題は全ての女性が母親のようなタイプではないということだった。

 自分から離れ、キャリアのために自らアメリカへ旅立った恋人を深く恨み、恩恵を与えたのに裏切られたと思い込む。

 彼の願いは、治安が悪くて銃社会で危険で、日本人(アジア人)が差別されるアメリカから、恋人を無理やりにでも連れ戻すことである。

 そんな彼は、出向先の子会社で出会った女性上司と関わるうちに、少しずつ変わってゆく。

 彼が「女性にもいろいろいる。良かれと思ってしたことでも、相手がどう受け取るかは分からないこともある」と、心底から理解して救われるまでのストーリー。ちなみに彼は主人公ではない。

主人公は別にいて、大手企業の出来たばかりの子会社にようやく入れるくらいなので、初期スペックはAよりかなり低い上、たまに遅刻をしたりもする。

しかし主人公には、TwitterXではよく取り上げられるワード「自他境界の不明瞭さ」がない。

では、自他境界が明瞭とは、いかなる状態か?

それは要するに「自分と他人とは、全く別の思考やら好みやら価値観やら、行動指針やらを持った、全く別の人間である」とはっきり分かっている、こういうことである。

そう、そこにいる誰かは、あなたとは全くの別の人間だ。

だからあなたが良いと思うことでも、相手は必ずしも良いとは思わない。

これが立ち向かわなくてはならない、厳然たる事実である。

あとは、以下の事が主人公には分かっている。

男性はこうだ、女性はこうだ。あるいは、日本人はこうだ、アメリカ人はこうだ、と言われるが。

それはあくまでも傾向の話であり、いくらでも例外はあり得るということ。

もっと言えば、その傾向すら、すでに過去の話であり、今はけっこう違うよ、違うと判明したよ、そんな場合もある。

それが主人公には分かっているが、Aには分かっていない。

まあ、そんな主人公も、お土産のお菓子を差し出して「いらねーよ」と言われれば腹を立てるくらいはする。

ある程度の「自分がされて嬉しいことは、他人もされたら嬉しいだろう」とする考えは必要である。社会の潤滑油である。

それが思ったとおりにならなかったら、どうするか?

まあ、そんなこともある。そんな奴もいる。そうやって頭を切り替えられる。

「なんでお菓子受け取らないんだ、なんで、なんで、なんで……」といつまでもリフレインさせない。

この場合は「いらねーよ」した方も悪いとは思うが、それはそれとしてリフレインさせて自分で自分を苦しめない。

それが主人公には出来るが、Aには出来ないのである。

そんな物語。

他にもたくさんの人間関係とドラマがあるのだが、長くなったので、今回はここまで。

読んでくださってありがとうございました。

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片桐 秋
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