ウィルトンズサーガ第3作目【厳然たる事実に立ち向かえ】『深夜の慟哭』第70話
ブルーリアの姿をした女は、いやそれは、アントニーが言った通りにブルーリアのもう一つの人格だったのかも知れないが、彼女はただ黙ってロランの姿を見つめていた。
彼女はただひたすらに真摯な眼差しで、口元を引き締め、緊張した様子で立っていた。
ウィルトンが説得を試みた時のように、あざ笑いはしなかった。アントニーが、なんとか説得しようとした時のように、にべもない拒絶はそこにはなかった。
「ああ、あなたはようやく、私を本当に助けてくれるのね、エーシェル」
その声は、三人が聞き慣れたブルーリアの声であった。その姿、雰囲気は、元のブルーリアそのままには見えなかったが。
どこかしらブルーリアとは変質してしまった姿をしているのだ。その雰囲気に、立ち居振る舞いに、元の様子は見られなかった。
しかしその声色は、その話し方は、確かにブルーリアのものであるように思われた。
「ブルーリアさんのしたいようにしてください。その果てに何があろうと、それがあなたの選択です」
「待ってくれ! だけど、このままじゃ彼女は」
ウィルトンが思わず叫ぶと、辺りの霧がまた深く濃くなった。
「ブルーリアの姿が見えない……」
アントニーは、ブルーリアの想い人であったエーシェルの姿をしている従者に言った。
「まさか、この霧は」
ロランは主と視線を見交わした。
「ブルーリア、だったら何故、俺たちはここまでやって来たんだ。俺たちは、お前をこのままにしてはおけない」
ブルーリアであった者の姿は、霧に隠れて見えなくなったが、声だけは聴こえてきた。
「地下世界の全てではなくとも、多くは平和で美しい場所になるわ。私のような妖精の側には来なければいいだけ。どうしようもない妖精、そうね、レドニスのような者だけは戦って倒さなくてはならないでしょうね。でもそんな者は滅多にいないわ。一人孤独に恨みを抱えて生きるのよ。あまりにも人間が酷い事をするなら、そうね、私たちは復讐するわ」
「ブルーリア、本当にそれでいいのか」
「いいのよ」
「もう止めましょう、ウィルトン」
アントニーは、そっと盟友の腕をつかんだ。そうしなければ、霧にさえぎられて、自分の姿もウィルトンには見えなくなっているからだ。
「しかし、このままじゃ」
「そうですね、我々はブルーリアと共に地下世界を冒険してしました。共に信頼し合い、危険に立ち向かいました。地下世界の大半は元のように美しい場所になり、私たちは地上の人間やヴァンパイアと違ってここに受け入れられるのだとしても、こんな結末は望んでいませんでした。私たちは、ブルーリアを助けたかったのです。地下世界に数多(あまた)いる会ったことのない妖精たちよりも、共に旅したブルーリアを、誰よりも助けたかったのです」
「そうだ! そうなんだよ!」
ウィルトンは、声の限りに叫んだ。半ばはアントニーにではなく、ブルーリアに向かってである。姿の見えないブルーリアに、霧にさえぎられて見えなくなった妖精に対してだった。
「でも残念ながら、今となっては、それは私たちの私欲に過ぎません」
冷たいとも言えるようなアントニーの一言。
その時、ウィルトンからは、完全にアントニーとロランの姿が見えなくなった。
「アントニー? ロラン? 何だ、この霧は」
「ウィルトン、私の声が聴こえますか?」
「アントニー、なのか?」
「もちろん、そうです」
「何だか、お前の声に聞こえない」
アントニーが腕を握る力がより強くなった。
「ウィルトン、落ち着いて聴いてください。ブルーリアは約束は果たしてくれましたよ。私たちは、無事に地下世界で安楽に暮らせるでしょう。少なくとも、地上にいるよりは、面倒な事に巻き込まれずに済みます。レドニスのような妖精は滅多にいないというのは、おそらくは事実だと思います」
「だけど、ブルーリアは」
「ブルーリアは私の従者に、彼女が愛していた男性の肉体をくれました。ロランが再び人間として生きられるようにしてくれた。後は彼女の自由です。自由にしてあげるべきだ、と私は思います」
「アントニー? お前までそんな」
「私だってこの結末は悲しい。けれど受け入れなくては、苦しむのは私たちの方です」
「……」
ウィルトンは、つい先ほど自分が言った言葉を思い出した。
──俺はお前たちが悪いとは思わない。ダクソスが悪い。そう全てダクソスが元凶なんだが、いつまでもその恨みを持っていたら、苦しむのはお前たち地下世界の妖精たちの方なんだぜ──
そうだ、たとえブルーリアが間違っているとしても。それでも。
自分がブルーリアのために言ったはずの言葉が、そのままウィルトンに返ってきていた。
誰かが「では、お前にソレが出来るのか?」と、問い掛けてでもいるかのように。
「だけど俺はブルーリアを救いたい」
霧はますます深くなっていった。アントニーの声が聞こえなくなった。少なくとも、それは盟友の声とは思えなかった。腕に掛かる力だけは感じる。
それさえも、どこか自分ではない他の者の感覚が、何故か自分に伝わっているようにしか、感じられなかった。
続く
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