【クリエイティブ生活】Twitter断ち6日目で分かったこと
大みそかだというのに真夏のような写真ですが🌿
本日はTwitter断ちをしてから6日目になります。
今回は、以下の5項目について気がついた事をお話いたします。
●本当にやりたいことが、やるべきことである
●厳しい言葉は本当に必要なのか
●どんな人の言葉を聞けばいいのか?
●Twitterも外食も『本当に』したいことならすればいい
●人にアドバイスや警告するのを逃げ道にしてはいけない
●本当にやりたいことが、やるべきことである
それはイコール自分のした方がいいことです。それが何であるかは本当は自分はちゃんと知っていたんですね。それを知る方法は、自分の身体の感覚に耳を傾ける、しっかり感じ取ることです。
私にとってはそれは、小説を書く、ゲームを作る、コラージュを作る、簡単料理を作る、などでした。しかも、『好きなように、自由に!』です。
自分の本当にしたいことが何であるかは、実はずっと昔から分かっていました。それなのに、別の方向に逸れていたのは他ならぬ自分自身のせいなので、他人のアドバイスやら指摘やらで振り回されたのも、自分のせいということです。
自分が『本当に』やりたいことと、やるべきことは実はイコールなのですが、多くの人はそうは思えないですよね。だから「厳しい言葉にも耳を傾けないと!」なんて言葉にだまされます🌿
ただ、本当にしたいことはその場の快楽を追いかけることではないので、そこで間違えてしまう人もいるかなとは思います。私もそうでしたからね。
ファミレスで外食するとか、雑貨店や書店に入り浸るとか、Twitterにハマるとか🌿 そうしたことではないと気が付くのが遅かったのです。
『本当に』したいことは、そうした手っ取り早く快感を与えてくれるものよりは、少しはハードルが高く感じられます。手っ取り早く感じるのは、単に快楽をあおる宣伝などでその気にさせられていたりするからです。
自分自身のしたいことは自分自身だけしか知らないので、誰も外から宣伝してくれないですね。自分で見つけるしかないんです。だから最初は確信が持てなかったり、本当にこれでいいのかと揺らいだりします。
●厳しい言葉は本当に必要なのか
他人からの刷り込みで、本当は自分自身のためにならないことをしているという点では、実は「厳しい言葉にも耳を傾けるべきだ」などのストイックな教えも同じなんですね。
一方で『本当に』したいことへ導く言葉が、手っ取り早い快楽から離れる際に、厳しい言葉として響くことがあります。要は厳しい言葉なら何でも良いわけではないです。むしろ毅然として退けないと、自分のみならず相手のためにもならない場合も多いです。
本当に自分のためになる言葉は、すっと腑に落ちる感じがするはずです。厳しいとは思えても、苦痛には感じないですね。「よくぞ言ってくださった!」と感謝したい気持ちになります。
でも大事なのはその言葉なので、言葉を言ってくれた人には、敬意は払いつつも依存しては駄目ですね。そして本当に尊敬すべき人なら「俺の(私の)言うことは全部聞け」なんて言わないはずです。
●どんな人の言葉を聞けばいいのか?
とは言え、自己顕示欲や自分自身の課題から目を逸らすために厳しいことを言う人の言うことでも、一応は参考になることはあります。なので難しいですね。その人が頭が良かったり、何事かの経験者であれば、その人の詳しい分野では、ある程度のアドバイスは出来ますよね。
ただそうした人は、基本的に全肯定を望み、「あなたの意見のここは受け入れるけれど、別のこの考えは私には合わない」として取捨選択する権利を相手に認めません。
あるいは、ものすごく親密なコミュニティの一員のごとくに、じっくり時間を掛けて根回しして、「あなたのことを否定したりしないよ」と納得させてからでないと、取捨選択の自由を与えてくれません。
取捨選択されるのは、自分を都合よく利用しているか、温かかったり冷たかったりするよく分からない態度に思えるようです。
確かに、本当にいざという時にとことん助け合うような親密なコミュニティの一員ならまだ分かるのですが。(例えば、ネットではない現実の田舎には、そうしたコミュニティが今でもあるのだと思います)
なので、最初からやはりある程度、何を言っているかだけでなく、どういう人が言っているかを重視した方がいいですね。肩書や学歴などで決めろと言うのでなく、言動一致しているか否か、言っていることが分かりやすいか、全肯定を求めてこないか、などです。
●Twitterも外食も『本当に』したいことならすればいい
ファミレスでの食事もウィンドウショッピングで時間をつぶすのもTwitterをするのも、それが『本当に』したいことならいいのです。
現にTwitterを上手く活用している方もいます。美味しいお店や素敵な雑貨店などを紹介して、多くの人を楽しませている方もいます。そうした場合もあると思います。でもこれまでの私のように、自分の本当の望みから目を背けて逃げるのでは駄目なのです。
アドバイスや欠点の指摘をするのを逃げ道にしている人もいると思います。実は私にもそうした面がありました。
●人にアドバイスや警告するのを逃げ道にしてはいけない
そんな人が「ファミレスやウィンドウショッピングは時間とお金の無駄だよ」などと言います🌿 まさに新約聖書でイエス・キリストが言った『盲人の手を引く盲人』です。
お釈迦様は「自分ができてから人に指導をしなさい。さもないと災いがある」とおっしゃいました。岩波文庫の『ブッダのことば 真理のことば』にあります。古典的名著です。
災いが何であるかは書かれていませんが、おそらくは「お前が言うな」と笑われたり、良かれと思ったのに逆恨みされたり、アドバイスや指導が間違っていて『逆(さか)』ではなく恨まれたり、でしょうか。
個人的にはもっと酷いことになった人を知っています。何故なら間違ったアドバイスは、本当にその人のするべきことから道を逸してしまうので、そうなるとアドバイスした側もろくでもないことになります。
私も被害者ぶれる立場ではなく、自分の課題に取り組まずにアドバイスしていたので、やはりろくなことになりませんでした🌿
今後はますます創作活動、クリエイティブ生活にまい進したいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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