ウィルトンズサーガ第3作目【厳然たる事実に立ち向かえ】『深夜の慟哭』第68話

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 それは ブルーリアの声ではなかった。誰か別の女の声、いや、その声は徐々に低くなり、中性的な声、そして若々しい少年のような声になり、続いて男の声になった。

「 一体何なんだ?」

「ブルーリアさんの声に似ていますよね」

 ロランが言った。恐る恐る二人の反応をうかがうように。

「何言ってんだ、これは男の声だろ」

「ブルーリアさんの物言いに似ていますよ。僕はそう思います。ブルーリアさんと、何と言うか、思いのあり方が似ているように思えますよ」

「思いのあり方が見ているだって? うむ、そう言われてみればそのような気もするが。ブルーリアは多分ずっと、失われた故郷のことを思っていたんだ」

 言いながら、ウィルトンは、盟友とその従者の顔を交互に見た。辺りの美しい風景も見た。

 草原には花も咲き始め、さらに居心地良く、美しくなっていった。

 今はこれこそが、ブルーリアの心の風景なはずだ。なのに何故、そんな悲しげな声をあげるのか? あれは本当にブルーリアの心の声なのか?

 ウィルトンは、かつては人形の姿をしていた若者を見て言った。

「ブルーリアはずっとこの地下世界にいた。ここは位置的には確かに彼女の故郷だが、様子はすっかり変わってしまっていた。彼女は故郷にいながら故郷を失っていた。その思いは確かに似ている気がする しかし確証はない」

 アントニーは頷いた。

「そうですね、故郷を失った思いなら、ここにいる妖精なら皆が共有している思いなのでしょうから、ブルーリアだけではない」

「どうする? この声の方へ行ってみるか?」

「私は、魔法円の中をもう少し調べてみたいと思います。この霧をはらうことができたらいいのですが。私でも魔術による光を持ってしても、何故かはらい去ることが出来ません」

「その石で、なんとかブルーリアにぶつけないようにして、魔法円の中を探れるんだろう?」

「ええ、もちろん。では、やってみましょう。声のことは、しばらくそのままにしておきます。いいですね?」

「いいさ、しばらく声は放っておこう。 だけどひょっとしてこの声は、 誰かの心の声なんだろうか? つまりここが少し前までは荒涼とした風景であって、今は美しい草原になったように、 誰かの心象風景が、声として聞こえているんだろうか?」

「そうかもしれませんが、今は確かめる術がありません」

 アントニーはあらためて魔法円に向かって身体の向きを変えた。

 古魔術によって、石を動かし始めた。

 霧の中を見通すことが出来なくても、石の周りに何があるかは、だいたい感覚でつかむ事が出来た。

 その感覚もまた、古魔術の働きである。

 新諸国時代になってからの新しい魔術は──そう、アントニーにとっては、それはまだ新しい魔術の体系だった──身体的な感覚と魔術による操作を結び付けられないと聞いていた。

 案外、不便なものだなと思う。 新しい時代になって、新諸国時代になって、良い事ばかりではないように思う。

 それは単に、古王国時代の事を自分が懐かしく思うから、というだけではない。

 明らかに、そう、誰の目にも明らかに、失われた技術、あるいは文化というものも存在しているようにアントニーには思えた。

 石が何かに当たった手応えを感じた。 感覚的に、それが何であるかを、石を動かして探ってみる。

 仮に、石に対して何らかの攻撃が加えられたとしても、その衝撃までは受け取ることはない。

 石を通して感覚を受け取るのは、自分にとって良い事だけだ。害になることは受け取らなくて良いようになっている。

 ただし、この石は、あまり遠くまでは飛ばすことができない。たとえ闇の中でも、光で辺りを照らして視界が通るのなら、その方が早いのだ。

「何か見つかったか?」

「はい、そうですね、ほっそりした女性の身体のような物があるようです」

「ブルーリアか?!」

「確証はありませんが」

「中に入って確かめたい。この霧には何の害も無いようだ。魔法円の中だからって、そんなに危険とは思えない」

「現にブルーリアかも知れない女性が、倒れているのに、ですか?」

「いや、それはそうだが、でもなあ」

「まあもう少し待っていてください」

 ウィルトンは、ため息をついて腕組みをした。だが何も言わず、そのまま待つことにした。

 ロランは少し心配そうに、主である アントニーを見た。主が安心させるように目配せする。

 ロランは次に、魔法円の中を見通そうとするかのようにじっと見た。

 魔法円の中の霧が揺らいで、左右に分かれた。中央に何かが立っているのが見える。

 黒い女の体と思えるような人影。いや、人ではなく妖精なのかも知れない。

 ただ、ブルーリアであるかどうかは分からなかった。気がつけば、魔法円への外側の霧も徐々に晴れていった。

「ブルーリア、なのか?」

 ウィルトンは大声で呼び掛ける。

「いいえ、違うわ」

 不思議な声が魔法円の中心から響いた。霧はまだ完全には晴れていないが、女の姿は見えるようになってきた。

「何を言っているんだ? ブルーリアじゃないか? どこか、おかしくしたのか?」

「違うのよ。私はブルーリアであって、ブルーリアではないの。あなた方の知るブルーリアではないわ」

「何だって?」

 ウィルトンは戸惑いと驚きの入り混じった表情で、アントニーを見た。

 アントニーにも理解不能だった。

「どういうことなのですか? 分かるように説明してください」

「いいわよ」

 女は妖しく微笑んだ。

続く

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片桐 秋
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